言葉の裏に存在する深い意味を味わう
夫の内田裕也さんの話は面と向かって聞いたことはないですが、私がプロデュースした講演会で話してくれました。希林さんは73年に裕也さんと結婚しますが、1年半で別居し、その後離婚はせずに別々に暮らしてきました。この不思議な夫婦のあり方について「離婚するのは簡単ですよ。なんで離婚しないんですかっていわれるけど、あの人が糸が切れたタコのようになったとき、誰が受け入れるんですか。私はいいとしても、子どもたちはえらい迷惑ですよね」と、ユーモアを交えながら複雑な状況を語りました。
あるとき、一人娘の也哉子さんがタロット占いをしてもらったら、占い師から「大丈夫ですよ。お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこを掴まえて一緒に連れて行きますから」といわれたらしく、希林さんは占いを信じる人ではないけど、ホッとしたんだとか。そして、その話を裕也さんにしたら「頼むからおまえ1人で逝ってくれ」とため息をつかれたそうです。結局、希林さんが亡くなって半年後に裕也さんも後を追うように逝きました。
確かに、希林さんの人生には途中でいろんなことがあったと思いますが、晩年は穏やかになっていましたし、思い残すことはない、やり切ったという感じだったようです。
「私の人生、上出来」
という言葉は、1人の人間の人生を振り返った際の最高の賛辞、名言ではないでしょうか。それだけに希林さんの人生は、まさに役者冥利に尽きる。そして最高の生きざまだったのではないかと思っています。
希林さんが、これだけ多くの人から愛されるのは、家族や夫婦のこと、仕事のこと、病や体のこと、人生のこととか、いろんな困難と向き合い、闘いながら、やっと到達した境地が彼女の芸から滲み出ていたからなのでしょう。苦節何十年という苦労があるから、普通に話している言葉の裏にも深い意味が感じ取れるのだと思います。
生前から本を書いてほしいという出版社から依頼がたくさんあって、段ボール箱から手紙があふれるほどだったそうです。それだけ多くの人が、希林さんの生きざまを知りたがっていたのだと思います。しかし、お元気なときは、自分の一生を本に残すという意思や考えは、全くなかったみたいですね。
「私の話なんか役に立たないわよ。あんた、あとは自分で考えなさいよ」
という言葉も残しています。希林さん自身も苦労の末に、自分で考え、判断して行動してきた人でしたから、安易に人の言葉だけ聞いて、その気になるんじゃないよと諭しつつ、「真剣に自分と向き合ってとことん突き詰めて考えなさいよ」ということをいいたかったんじゃないですかね。その意味で希林さんの言葉は自分を見つめ直すヒントになり、これからも語り継がれていくのでしょう。