ブランドバッグや宝石より健康的・意志的なボディ

モノを所有することで人に差をつける、差異化する――そんな時代はとっくに終わりを告げたと言われている。豪華な毛皮や宝石はもちろん、少し前まで女性たちが夢中になっていた高級ブランドバッグも以前のように垂涎すいぜんの的とはなっていない。いわゆるラグジュアリーファッションの人気が全般的に凋落ちょうらくしているのだ。

それは日本だけにとどまらない。「すでに世界の主要都市を見ても、装飾的でファンシーなラグジュアリーが終焉しゅうえんしているというか、人々がそうしたものに疲弊している」(菅付雅信『物欲なき世界』平凡社、2015年)のである。

肩の力が抜けた着こなしやジェンダーレス志向の高まりを受けて、毛皮、ハイヒール、セクシーな下着といった過剰な女性性の記号となるファッションは敬遠されるようになった。むしろエコファー(少し前まではフェイクファーと言われていた)にスニーカー、下着はブラトップが好まれる時代だ。

エルメス貯金よりも筋肉貯金に走る

女性たちの高級ブランドバッグ志向も全くなくなったわけではないようだが、貯金をしてまで100万円以上するバーキンを買う(かつてはエルメス貯金などと言われた)というようなことも減っているようだ。

米澤泉『筋肉女子 なぜ私たちは筋トレに魅せられるのか』(秀和システム)

ファッション誌で読者モデルが戦利品を見せびらかすように、自分の持っているバッグを誇示したり、持っている数を競うこともなくなりつつある。何しろ、現在はブランドバッグをシェアするサービスが存在するのだ。月に数千円支払えば、自分の好きなブランドのバッグを借りることができる。

「いつかは」と憧れていたバッグをいとも簡単に持つことができるのだ。所有にさえこだわらなければ全く問題はない。すでに、若い世代ほどモノを所有することにこだわりがないようだ。メルカリなどのフリマアプリを日常的に使用し、使わなくなったものはすぐに売ることが習慣化している。

数年前は気に入っていた服でも、今はもう着ないのならただの不要品である。彼らの中に、思い出のために残しておくという発想はない。そもそもモノに対する思い入れがそれほどなく、仮に記憶の片隅に残しておきたければデジタルに保存すればいいという考え方だ。