患者のためになる新説でも権威学者が受け入れないと無視される

教授の気に入るテーマでないと研究ができないのなら、その教授が、視野が広く器の広い寛容な人でないとユニークな研究や新しい分野での研究ができない。教授が専門分野とする旧来の定説がなかなか変えられない。

日本の医学の世界では、新説がいくら患者のためになるものであっても権威とされる学者が受け入れないという事例が数多くある。

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例えば、慶應義塾大学病院でがんの放射線治療の専門家として活躍された医師の近藤誠氏だ。乳がんの場合、旧来型の治療は乳房を全部切除し、その周りの筋肉も外すというものだった。それに対して、近藤氏は「がんだけを取って放射線を当てる治療法でも5年生存率が変わらない」というアメリカの論文を雑誌『文藝春秋』で紹介したが、医学界からほぼ無視された。結局、そのような権威の医師たちがすべて引退するまでその治療法は標準治療とならなかった。それにより15年のタイムラグが生じてしまったのである。

筆者の場合も、学位審査の主査だった東北大学の教授は東北6県の精神科の教授人事にも介入したとされていた。その真偽は不明だが、以降、東北6県には精神療法を専門とする教授がいない状態となった。そのため2011年の東日本大震災の際にトラウマの治療ができる(これは薬では治らない)医師が不足して、今でも後遺症に悩む人が多い。筆者は今でもボランティアで福島の沿岸部(原発のあった地域)の心のケアに1カ月に一度通っている。

教授に無断でテレビに出演したことが逆鱗に触れた

ここまで読んで、そうした閉鎖的な環境が所属する大学にあるのなら、いい論文を書いてよその大学で認められればいいではないかと考える読者もいるだろう。しかし、日本の学会はよその大学の教授への忖度そんたくが強いようだ。

例えば、眼科で教授とけんかして出ていった人間は、私の知る限りよその大学の眼科の医局では引き受けてもらうことはまずできない。

診療科を変えると、その医局に入れてもらうこと(たたし、別の大学である)はできるようなので、どうしてもがまんしなければいけないことはないようだが、それまでのキャリアをふいにすることになる。

文系の学部でも似たようなことがある。筆者の知るある優秀な女性研究者は学会新人賞を取った優秀論文を教授がどうしても認めず学位が与えられなかった。どうやら内容を問題にされたのでなく、教授に無断でテレビに出演したことが逆鱗げきりんに触れたらしい。

しかも、別の大学で学位を取ろうと、知り合いの別の教授に相談に行ったら、「ホテルに部屋を取ってあるので、そこで相談しよう」と言われたので断ったという。10年以上前の話なので、今でもセクハラ案件があるかどうかはわからない。ただ、その優秀な学者はいまだ学位をもらえず、ホテルを用意すると言った教授はその後も順調に出世し、その学会長になったのは事実だ。