教育への公的資金の投入が少ない日本

OECD(経済協力開発機構)などの国際機関は、日本の教育費用が主に家庭によって担われてきたこと、教育への公的資金の投入が極めて少ないことを指摘し続けてきた。2011年の日本の就学前教育段階における公財政教育支出の対GDP比は、OECD加盟国中、最下位であった。日本においては、教育は、各「家庭」において行われる「私的」な行為であり、「公的介入」の必要性は低い、それゆえ公金を投入する必要はないと考えられてきたのである。つまり、教育は「政治」ではない、と考えられてきたのだ。

今回の「無償化」は、就学前教育の費用負担における国・地方自治体の責任と役割を明確化したという点で、「子育ては、親(だけ)がするものである」という日本人の子育て常識を、「子育てと、子育てへの支援は、国民が共同して運営・維持するべき公的事業である」とする共通認識へと転換させるターニングポイントを画する。

OECDは、2000年代に入り、教育のうち特に就学前教育、つまり乳幼児期の教育への投資が、数十年後の社会的便益を生み出すというコストパフォーマンスの良さを強調している。手厚い就学前教育、つまり「質」の高い保育への投資が、それを受けた子どもに、数十年にわたって、社会政策という観点から見ればポジティブな影響を与え続けることが、長期的な「ランダム化比較試験」に基づくエビデンスと共に、OECDの報告書で示されている。

「手厚い保育」の効果は数十年続く

アメリカの経済学者ジェームズ・ヘックマンがしばしば言及し、日本でもさかんに紹介される就学前教育の効果の追跡調査のエビデンスとして、「ペリー就学前プロジェクト」や「アベセダリアンプロジェクト」がある。質の高い就学前教育を受けた子どもたちと、受けなかった子どもたちのその後を調査したものである。これらの「質」の高い就学前教育の子どもに対するプラスの効果は、その後数十年にわたって持続しているという。その就学前教育を受けた子どもの群は、受けなかった子どもの群と比較して、学歴が高く、持ち家率が高く、生活保護受給率が低く、逮捕率が低かったという。

そして、そのようなエビデンスが、各国の保育政策を、就学前教育、保育の「質」の充実に注力させる説得性の強い材料となっている。就学前の子どもへの手厚い保育は、その子どもが自らのライフコースを切り開いていくにあたって有益な「社会情動的スキル」、つまり多様な他者と良好な関係を構築し協同的な仕事ができるスキル(日本で「コミュニケーション力」と言われているものに相当する)や、自分自身の状態を客観的に認識し、感情をコントロールし、意欲を維持できるスキルなどを獲得するのに有益だとする知見が示されている。

「子育ては、子どもの親だけが責任を持ってすればよいし、するべきである」というのは、育児を私的行為・私事なのだとする認識だ。これを乗り越え、子育てと子育て支援は、多額の公金を投入し、納税者が共同的に支え、その実施と結果に関心を持ち続ける事業であるという、「育児=公的事業」観への転換の起爆剤になりうるのが、今回の「無償化」である。