無償化は「保育の質」にアプローチする

それに対して、今回の「無償化」は、「待機児童」問題の頻発する低年齢児に関しては、住民税非課税世帯、つまり低所得層への無償化にとどまっている。ほぼ「無償化」されたのは、3歳から5歳までの高年齢児に対する、保育所、幼稚園、認定こども園における保護者負担分であった。当然のことながら、「無償化」対象は都市部には限定されていない。つまり、「無償化」は、「待機児童」対策として打ち出されたものではないのである。その「無償化」に、消費税増税分の税収など7000億円以上の公金を充当するという。

つまり、「無償化」の背景には、「待機児童」問題という、「保育の量を拡大せよ」という保育の「量」に関する議論とは別の文脈があるということである。その文脈とは何か。ひとことで言えば、保育の「質」に関する議論という文脈である。「待機児童」という、イメージしやすく世論の関心を集めやすい社会問題の影に隠れ、子育ての当事者、保育の当事者以外にはめったに議論されることのなかった文脈だ。

安全性や快適さは「カネがなければ高められない」

保育が、福祉・教育の一部をなす対人サービス業の提供である以上、「質」が議論されうる。ところが、保育の「質」の高さとは何か、というのは、一面的には語れない。私たちにとってイメージしやすい「質」の高さは、例えば、保育士が子どもに愛情を持って丁寧に接するというようなものだろう。だが、このような「プロセス(過程)の質」以外の「質」がある。

その一つが、「ストラクチャー(構造)の質」である。「ストラクチャーの質」とは、例えば、子どもの発達を促しやすい遊具・教材があること、保育室・園庭の適切な広さ・安全性・使用しやすさ・快適さ、保育士の学歴・知識・技能の高さなどが含まれる。つまり、保育士の個人的な努力だけではどうしようもない質が、「ストラクチャー(構造)の質」である。端的に言ってしまえば、「カネが無ければ高められない」質である。

今回の「無償化」は、保護者負担分を、国・地方自治体が肩代わりするということであり、当たり前のことながら、決して、それによって保育に関するコストがゼロになるわけではない。