インスタ映え vs. ツイッター

ここで興味深いのは、インスタ映えという観点から洞察してみると、彼ら清掃ボランティアたちは皆、極めて慎ましいということです。

先述のとおり、仮装をして非日常的な街に繰り出すインスタグラマーたちは、フォロワーの範囲によって定義される有限規模の仮想社会のなかで、キラキラした自分をプロデュースしようとします。つまり、インスタ映えを狙います。

それに対して、清掃を行うことを選んだ人たちは、普段は行わない(お祭り騒ぎがなければ行う必要はないわけですが)清掃という賞賛に値する活動に従事しているからといって、そのインスタ映えする非日常的な自分の姿をネット上にアップして、自分を“盛る”という自己顕示を行おうとはしていないように思えるのです。

ツイッター民としての掃除ボランティア

彼らは、基本的に、ツイッターの使い手です。インスタグラムに派手なハロウィンの様子がアップロードされる最中、ツイッターで、大人のバカ騒ぎで出たゴミを子供に片づけさせてよいのかとゴミ問題を訴えるツイートを発信し、リツイートを通じて拡散します。一緒にボランティアをやろうと呼びかけるツイートもしかりです。

ここで想起されるのは、ツイッターのすさまじい情報拡散力です。「バカッター」という流行語で知られるように、愚かな行為はすぐに見とがめられ、拡散され、全力でたたかれるわけで、清掃ボランティアも、自己顕示を満たす目的ならば、すぐに見破られて、批判の的になってしまうことでしょう。

ハロウィンの清掃は、インスタ映えするハロウィンの大騒ぎにアンリアルでフェイクな感覚を抱いて、その裏側で誰かが清掃しなければならない事態が生じているという社会問題にリアルさを見出すような、真剣なボランティアたちが担い手になっているからこそ、それは偽善だという心無い批判から守られながら成り立っているのです。

さて、ここまで、「ハロウィンにリアルを求める人たち」として、お祭り騒ぎのパリピたち、それに乗ってインスタ映えの光景を求めて参加するパンピのインスタグラマーたち、そして、ツイッター民の掃除ボランティアの三者三様な姿を論じてきましたが、もう少し先に続きます。(続く)

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