お祭り騒ぎの脇で街を清掃するボランティアたちもいれば(第1回参照)、お祭り騒ぎの代わりに「地味ハロウィン」を楽しむ一群もいる。彼らは、派手なハロウィンの終焉の兆しだろうか。慶應義塾大学の小野晃典教授は、「そうでないにせよ、自分だけの“リアル”を見定められた彼らは、そうでない人たちが多様性を認識する契機になるだろう」という——。(第2回/全2回)
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インスタ映えに対するもう一つのアンチテーゼ

第1回では、ハロウィンが企業のマーケティングの手段として日本に輸入された後、現代的な祭りの機会を見いだしてお祭り騒ぎを行ってきたパリピたち、それに乗ってインスタ映えする光景を求めて参加するパンピたち、そして、祭りによって汚された街を清掃するボランティアたちがハロウィンに求める三者三様なリアルさについて論じてきました。

最後の清掃ボランティアが、注目点かもしれません。ツイッターで語られるゴミ問題を契機として集まった彼らは、お祭り騒ぎにインスタ映えを求めるパンピたちと同じく、清掃に参加することでリア充を実感しているはずですが、「インスタ映え」を狙うという下心があっての偽善的清掃者ではなさそうだという点においてです。

第2回では、そんな清掃ボランティアに匹敵するような、もう一つのインスタ映えのアンチテーゼについて論じていきましょう。

ハロウィンの清掃ボランティアたちは、インスタ映えを狙ったハロウィンの大騒ぎにアンリアルでフェイクな感覚を抱いて、自分がよりリアルだと感じる清掃という道を歩むことにしたのだろうというわけですが、それと同様の感覚に基づいて、別の道を歩むことにしたのであろう人たちがいます。それは、「地味ハロウィン」のイベントに集う人たちです。