現代の「祭り」としてのハロウィン

「非現実」と表現したものの、祭りもまた「現実」の構成要素です。日常生活「ケ」を過ごすうちに、日々の繰り返しに飽き飽きしたり、難しい問題にストレスを感じたりすることもあるはずです。そうして気枯れてしまった心理状態をリセットしてくれるのが、「ハレ」としての祭りなのです。

ハロウィンで盛り上がる渋谷に仮装して行けば、自分と同じく仮装した人たちに出会うことができます。普段ならば、他人同士干渉し合うことなく無関心を装って通り過ぎるだけの街中で、仮装した人たちの間では、笑顔で声を掛け合ったり、立ち止まって自撮り写真に一緒に納まったりして楽しむという現象が起きていることは、ご存知のとおりです。

こうした現象は、伝統的な祭りの着物や半纏と同じように、仮装が、それを着ていない日常における窮屈な社会規範から自らを解放して別の社会規範に従って行動しようとするパワーと、同じ想いをもつ同志たちが確かにいるというフィーリングと、そういう人たちがどこにいるかを識別するアビリティを、市民に授けることによって下支えされています。

そういう意味で、ハロウィンの仮装には、希薄になった人と人との結び付きを結びなおして、自分がこの現実社会の中で生きているというリアルな感覚を取り戻す機能を見出すことができます。渋谷をハロウィンの大騒ぎの中心地に仕立て上げた「パリピ」は、そういう機能に期待を寄せるからこそ、キラキラな仮装をその身に施して街に繰り出すのでしょう。

「インスタ映え」する仮装

さて、現代社会において、リアルな感覚に乏しい日常を助長しているものといえば、SNSでしょう。SNSは、情報送受信量を飛躍的に高めることによって、私たちの生活を便利にしてくれたかもしれません。けれど、友人との会話でさえ、ニュースのように編集されて伝えられるようになったため、リアルな感覚を減じてしまったのです。

そうした事態の背景にあるのは、自己顕示です。「インスタ映え」という流行語が暗示するとおり、典型的な投稿者は、キラキラした自分を他者に見せる目的にかなうコンテンツだけを、切り取って発信します。全くの虚像の情報、つまり一種のフェイクニュースを発信してしまう投稿者さえいます。

ハロウィンの日、奇抜で派手な衣装を着こんだ姿のポートレートや、道すがらの人たちと撮った集合写真は、自分をキラキラに見せるのに好都合な、インスタ映えする情報コンテンツです。「パリピ」がハロウィンをハレの日として心底楽しむのとは異なり、依然として日常生活に軸足のある「パンピ」は、その日常生活において重要な位置づけを占めるSNSという仮想社会における自分の姿を充実させるためにこそ、奇抜な仮装を着こみ、練り歩き、人と出会っては写真を撮ると言っても、言い過ぎではありません。

写真=iStock.com/Nob1234
※写真はイメージです

彼らにとって、現実社会においてリアルな人と人との結びつきは、実は、重要なことではないのかもしれません。それでもなお、仮想社会に情報コンテンツを発信するためには、リアルな自分を仮装させ、リアルな他者と楽しげに交流してみせる必要があります。そういう意味で、彼らもまた、ハロウィンにリアルさを求めていると言うことができるでしょう。