人間は貨幣を稼ぐために「チーム」を作った
先日、『天才を殺す凡人』や『転職の思考法』の著者である北野唯我さんと対談した際、参加者からこんな質問をもらいました。
「これからの会社には、『居場所』としての役割は残りますか?」と。「会社はなくなるんちゃうかな、と思いますけどね」と、わたしは答えました。
「ボーダレス化」の時代です。今やあらゆる情報やスキルは、ひとつの会社が占有するものではなくなり、個人や国をまたいで行き来しています。
つまり、「情報という資産がだれのものかわからなくなっている」状態です。その中で、そもそも株主がいて、会社があって、法人という人格をつけ、「これはわたしのもの、あれはあなたのもの」と分断する概念は、どんどん薄れていっています。
会社はそもそも、人が生きていくために、飯を食うために生まれた「チーム」です。
最初は狩猟動物として、みんなで獲物を仕留めるための集団が生まれました。次に、農耕を始めて「村」というチームをつくり、大量に稲を生産できるようになりました。そのあと、人は貨幣を発明しました。「会社」は、その貨幣を稼ぐために人間がつくり出した「チーム」なのです。
人を「支配」で動かせる時代は終わった
しかし今では、会社という枠を飛び越えたプロジェクトがあちこちで生まれはじめています。個人の複業も当たり前になりました。
この状況が示しているのは、会社というチームそのものが古びてきている、という実態です。会社が営みを続けるうえで、社員に無理やり忠誠を誓わせたり、だれかの犠牲を強いたり、利益ばかりを追求したりすれば、即座にインターネット上で晒される時代。労働者人口が減りゆく時代。そういった会社は確実に淘汰されます。
世の中にある会社は遅かれ早かれ、公明正大に向かっていく。会社は民主化されていきます。株主だけでなく、社員、顧客、取引先などあらゆる人が幸せに暮らせる社会を築くことを理想とするならば、もはや「会社」という形にすらこだわらなくてもいいのかもしれない。極論を言えば、「会社はなくなってもいい」とわたしは考えています。
人は「支配」ではもう動きません。人を動かすのは「理想」であり「共感」です。会社は「個人を縛る組織」ではなく「自立した個人が集まる組織」になっていきます。