「太ったね」「もう少しやせなよ」

①他者からのコメント

ここに入るのは、「すごい太ったね」、「もう少しやせなよ」などの他者からの言葉です。これらコメントを「比較」としたのは、そう言ってくるかれらの頭の中に、過去の彼女たちの体型や、彼女たちよりもっとやせている他者のイメージがあり、それらとの比較の上でこれらの言葉が発せられているからです。男の子から「デブ」とからかわれ続けた、部活の顧問の先生からしきりにやせるように言われたといった経験もここに入ります。

②自分で自分を比較する

これは文字通り、自分自身の中の比較です。以前よりも体重が増えた、写真を撮ったら友人より太っていた、鏡に映った姿を見たら自分が一番太っていると思った、そのような出来事が含まれます。

③他人による他人の体型の指摘

これは友人との会話の中で、「○○ちゃん、太っているよね」とか、「女の子は50キロ以下でいてほしい」といった会話を耳にすることです。これらのコメントは、直接自分に向けられてはいませんが、社会の中でどのような体型がネガティブな評価を受けるのかを学ぶ機会として働きます。

④洋服のサイズ

最後のカテゴリーは洋服です。着たい服が入らない、やせていないとおしゃれに見えないといったことが理由です。着てみたい洋服と自分の体型を重ねるので、これも比較のひとつです。

生まれた時から細くなりたい人はいない

女性116名へのアンケートで、「生まれたときからやせたいと思っていた」と回答した人はひとりもいません。この結果から明らかなのは、「やせたい気持ち」が成長の過程で現れ、しかもその多くが他人と自分を見比べたときに現れているということです。

でも、なぜ比較をし、その上で体型を変えようと思うのでしょう? 隣の子のボールペンが、自分のボールペンより細かったとしても、もっと細いボールペンを買おうとは思いません。私は左利きですが、周りが右利きだからといって変えようと思ったことはありません。違いに気づくだけでは、変化のモチベーションは高まらないのです。

人が比較の上で何かを変えようと思った時、その背後には何らかの価値観があります。この場合のそれは、やせている人の方が素敵であるという、社会に共有された価値観です。私たちは成長の過程でこれを学び、その学びが「もっとやせなよ」といったアドバイス、「デブ」というののしり、あるいは「やせたい」という気持ちにつながります。