【田原】若手のころから藤田さんと話す機会はあったのですか?

マンツーマンで帝王学

【中山】僕が入社したころにはもう社員が500人くらいの会社になっていましたが、幸いなことに、同期数人とローテーションを組んで藤田さんの運転手をさせてもらえる機会がありました。朝の20~30分、マンツーマンで帝王学を教えてもらっていました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】たとえばどんなことを?

【中山】ビジョンの話は刺さりましたね。当時、eコマースのマーケティングメディアをつくる事業をやっていたのですが、チームのみんなにビジョンがなかなか浸透しなかった。そのことを相談したら、「そう簡単に浸透しないよ。とにかく言い続けるしかない」と。これはいまマクアケの事業にも生きています。

【田原】eコマースのマーケティングメディアというのは何ですか?

【中山】たとえばカード会社や航空会社は大きな会員組織を持っています。その会員の方々に向けて、僕たちがつくったサイト経由でeコマースを利用するとポイントがもらえますよというメディアをつくっていました。僕は4年くらいやったかな。

【田原】その後は、ベトナムでベンチャーキャピタル事業を立ち上げた。自分で手を挙げたんですか?

【中山】はい。入社した当初はまだ世の中のことを知らなくて、僕自身のビジョンは「社長になりたい」「事業をつくりたい」というとても小さなものでした。でも実際に事業をつくっていく中で、「世界の隅々に価値を残したい」と大きくなった。そうやって価値観が広がっていく一方で、自分の頭の中の地図が逆に狭くなっていることに気づきました。普段の行動範囲は、渋谷、池袋、大手町の往復で、電車の路線図より小さい。これで本当に世界に価値を残せる人間になれるのか。そう危機感を抱き始めたころに、タイミングよく役員に声をかけてもらえて、「はい、僕が行きます」と。

【田原】ベトナムではどんな発見を?

【中山】ホーチミンに1年、ハノイに1年半いましたが、現地で感じたのは、日本製品のプレゼンスが毎月のように下がっていること。家電量販店に行くと、真ん中の派手な場所でプロモーションしているのはサムスンやLGの製品で、日本メーカーの製品は隅っこに追いやられ、蜘蛛の巣が張っている。日本ではクールジャパンが世界を席巻と喧伝されていますが、それも事実と違う。音楽は韓流、映画は中国、スポーツはイギリスのプレミアリーグ。コナンなど人気の日本アニメも一部ありますが、少なくとも席巻という感じではなかったです。