役人にも政治家にも、予算を圧縮するメリットがない
実際には消費税率の大幅な引き上げなど増税は難しいだろう。安倍首相も「今後10年くらいは上げる必要はないと思っている」と討論会やテレビ番組で発言している。10月の消費増税で消費がさらに冷え込むことになれば、経済対策などにさらに出費され、何のための増税か分からなくなってしまう。
消費増税の負担軽減による景気対策、働き方改革への生産性向上支援、国土強靭化、国を守るための防衛費——。いずれも反対しにくい名目で予算は毎年膨らんでいく。大借金を抱えた家庭だったら、まず何をするか。大鉈を振るって支出を減らすだろう。だが、国の予算策定の過程では「減額しよう」という声はかき消され、増額要求だけが残る。
なぜか。概算要求など予算を作る役所や役人にも、最終的にそれを決める政治家にも、予算を圧縮するメリットがないのだ。新規に予算を取ってきた課長は、「力のある課長」と評価され、本人も出世するが、自分の課の仕事を減らし、予算を減らしたら、誰にも評価されない。予算が大きければ大きいほど役所として、官僚としての権限は大きくなる。
政治家にとっても、予算は大きい方が好都合だ。地元の公共事業や企業への助成など、選挙民に喜ばれる。「口利き」はできないにせよ、大臣など政治家の予算配分に対する権力も大きくなるわけだ。
「国家財政が破綻してもいい」という無責任
つまり、霞が関にも永田町にも、予算カットすることへのインセンティブは何もないのだ。まして、国の借金が増えたからと言って、幹部公務員の給料やボーナスが減ることはない。万が一にも国家財政が破綻しても、自分たちの退職金や年金がパーになることなどないと高をくくっている。だから、誰も本気で借金返済など考えないのだ。
一般個人の家だったら、借金を返そうと思ったら、保有している資産を売却して借金返済に充てるだろう。だが、霞が関も永田町の誰も、そう考えない。JR九州が予想外に上場できた際の株式売却益も借金返済には回されなかった。今後行われる日本郵政の株式売却益も借金返済に回されることはない。便利な口実は「復興支援」。誰も反対できない。
だが、こんな予算の膨張も、借金の増大も、どこかの段階で限界が来る。
太平洋戦争中の国の膨大な借金は、戦後の預金封鎖とインフレによって解消した。国家財政が瓦解し、猛烈なインフレになることでしか、日本国の借金削減も国家予算の抜本的な見直しもできないというのが、国の舵取りを考えているはずの永田町や霞が関の幹部たちの本音だろう。