ドラえもんの映画で父親が涙するワケ

自分もまだまだ成長していないなと思うことはないだろうか。あるいは、少なくとももっと成長したいと思っている人はいるだろう。完璧な大人などいるわけないのだから。それに人間は忘れる動物だ。子どもの頃習ったこと、身につけたことも、すぐに忘れてしまう。だから常に初心に帰ることが大事なのだ。

子どものためにドラえもんの映画を観に行ったお父さんが、自分の方が泣いて感動しているシーンがよくある。きっと忘れていた何かを思い出したのだろう。いや、子どもよりも深いメッセージを受け取ったからかもしれない。

そうやって自分と向き合い成長したいすべての大人たちに向けて、僕は『アニメと哲学』を書いた。たとえば、この競争ばかりで面倒な社会の中で、いかにくさらずに戦い続けることができるか。そのヒントは「おそ松さん」に描かれている。ただし逆説的に。

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大人になってもそろってニートを続ける六つ子の兄弟たちからは、なぜか悲壮感が漂ってこない。普通だったら鬱になったっておかしくないのに。むしろ競争社会を明るく皮肉る彼らの姿には、強ささえ感じるから不思議だ。その秘密を読み解くには、哲学がいる。そこで僕は、ニーチェによる善悪の基準をモノサシのように用いて、おそ松さんのメッセージを解説してみた。

ポケモンと人間の深遠な関係

あるいは、「ポケモン」が描くモンスターや少年たちの成長は何を伝えているのか? それは進化にほかならない。成長を超えた進化。つまり、想定を超えた成長のことである。その想定を超えた部分に僕らは感動を覚えるのだ。それを読み解くために、ベルクソンの「エラン・ヴィタール(生命の飛躍)」をモノサシに用いた。

小川 仁志『アニメと哲学』(かんき出版)

モンスターも人間も、生命体は常に予想もつかない大成長を遂げる可能性を秘めている。僕らはそう信じることではじめて、努力できるのだ。彼らが懸命に日々のトレーニングに邁進まいしんしているように。

こんなふうに、アニメは哲学のモノサシを使って深く読み解くことで、より深淵なメッセージを伝えてくれる。そして大人にとっても十分役に立つ成長のためのヒントを与えてくれるのだ。

冒頭でも触れたように、それはアニメが虚構だからこそ可能になるといっても過言ではない。現実の中で見失っているものを見るには、何か別の視点が必要だ。そうすると、必然的に虚構ということになる。アニメが現実を変える理由はそこにある。

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