仏教行事だが、キリスト教信者や宮司の息子も地蔵盆に参加

現在、京都市内では地蔵も阿弥陀如来も釈迦如来もすべてひっくるめて、8月20日ごろに地蔵盆としてお祀りをする。地蔵盆の主役は子供である。

各町内会で石仏を囲み、町内の僧侶を呼んで念仏に合わせた数珠回しをやる。また、福引、スイカ割りなどのゲームなどが催されるのである。京都の子供にとっては、夏に実施されるクリスマスやハロウィーンのような感じだ。地蔵盆はあくまでも仏教行事だが、キリスト教信者や宮司の息子も、新宗教の信者も分け隔てなく地蔵盆に参加するところがすごい。

地蔵盆の風景
撮影=鵜飼 秀徳
地蔵盆の風景

私は団塊ジュニア世代であり30〜40年ほど前は町内の地蔵盆は子供であふれかえっていた。しかし、近年、少子化によって子供の姿はかなり少なくなった。参加者は高齢者が中心だ。

このように、少子高齢化によって地蔵盆の開催が危ぶまれている町内会もある。だが、市内で地蔵盆を実施する町内会はいまだに8割に及ぶ。いまだに地域信仰が根付いている都市は京都くらいなものである。

撮影=鵜飼 秀徳
地蔵盆の風景

地域住民と子供たちが時間と空間を共有する機会は、この時代において実に貴重だ。仏教を通じた情操教育の場にもなり、世代を超えた地域社会の紐帯となりえる。

墓参りための「帰省大渋滞」は日本人ならではの思いやりに満ちた姿

こうした、信仰の集まりを「講(こう)」とも呼ぶ。昔は、講が地域の結束を強めていた。講では信仰を核として、相談事や金銭の貸し借り、結婚式・葬儀の仕切りなど互助会的な役割も担っていた。

しかし、戦後日本人はムラやイエを離れ、都会で核家族を形成したものの、通信手段が乏しかった時代は、遠い故郷に心のよりどころを求め、お盆の時期になると墓参りをしに戻ったものだ。

写真=iStock.com/alexandragl1
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そして現代はといえば、SNSやスマホの全盛期である。場所や時間を問わず、交流ができる。現代人は、今を生きる友人同士でつながることへの意識は強そうだ。しかし「過去とのつながり=ご先祖さまとの対話」はSNSでは無理である。ぜひ、リアルな墓参りとして実践していただきたいと願う。

例年通り、新幹線や高速道路は帰省ラッシュによる混雑が予想される。しかし、言い換えればこれは「墓参り渋滞」。帰省客は大変だが、私は日本人ならではの思いやりに満ちた姿だと、目を細めながらニュースを見ている。

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