京都の「五山の送り火」がよく見えるマンションは価格が高い

お盆の行事は地域や仏教宗派によっても多種多様であるが、京都におけるおハイライトは16日夜に実施される「五山の送り火」だ。5つの山に「大」の文字(2山)「妙」「法」の文字、「船の形」「鳥居の形」が灯される(点火時間は各山とも約30分間)。私の寺からは「鳥居の形」がよく見える。

五山の送り火の鳥居型
撮影=鵜飼 秀徳
五山の送り火の鳥居型

その燃え盛る炎にのせ、ご先祖さまの魂は虚空へと舞い上がり、あの世に戻って行かれるのである。この時、コップに入れた水に送り火の炎を映して飲めば、無病息災が約束されるとの言い伝えがある。

お盆の精霊流し(右京区・広沢池)
撮影=鵜飼 秀徳
お盆の精霊流し(右京区・広沢池)

送り火の起源については謎が多い。平安時代に空海が始めたとも、室町時代に足利義政が考案したとも言われているが定かではない。江戸時代には「一」「蛇」「長刀」「い」「竹の先に鈴」の計十山で送り火が行われていた。それはそれは壮観だったに違いない。だが、明治初期の神仏分離令によってさまざまな仏教行事が中止に追い込まれ、五山の送り火もいったん途絶えた。その後、5山のみが復活して現在に至る。

京都を訪れる観光客は「五山の送り火」のことを、ひとまとめにしてしばしば「大文字焼き」と呼ぶ。だが、京都人はそれを嫌がる。あくまでも此岸(しがん、この世)・彼岸(ひがん、あの世)を橋渡しする意味での「送り火」という表現にこだわる。また、京都では送り火が見える立地のマンションなどは不動産価値が高くなる傾向にある。

ちなみに、送り火でもっとも有名な「大文字」の由来は何なのか。仏教では、万物を構成する4つ(5つの説もある)の元素「地・水・火・風(・空)」を四大(五大)と読んでおり、そこから「大」の字が取られたとするのが有力である。

「五山の送り火」のあとは「地蔵盆」が開かれる京都

商売繁盛を願って油を掛けた地蔵
撮影=鵜飼 秀徳
商売繁盛を願って油を掛けた地蔵(本当は阿弥陀如来、14世紀)もある。右京区嵯峨。

送り火を終えた後も、京都のお盆はまだ続く。各町内では「地蔵盆」という不思議な行事が実施されるのだ。京都市内を歩けば、あちこちに石仏を見つけることができる。路傍の小さな祠(ほこら)に収められ、祀られている。民家の敷地に地蔵堂が食い込んでいたり、コンビニや郵便局などの公共スペースに置かれたりする祠もある。

これは、住民やテナントの入居よりはるか昔から、石仏が鎮座しているからである。私が複数に聞き取りをしたところ、石仏が置かれた土地の固定資産税もしっかりと払っているようである。通常は「宗教施設」は固定資産税が免除されるのだが……。

民家に食い込むように地蔵堂が建てられている
撮影=鵜飼 秀徳
民家に食い込むように地蔵堂が建てられている
コンビニの駐車場にも地蔵堂が置かれている
撮影=鵜飼 秀徳
コンビニの駐車場にも地蔵堂が置かれている

京都市内の石仏の数は1万以上に及ぶと言われているが、私が俯瞰する限り、その数倍はあるように思える。なぜここまで多いのか。それは室町期、洛中で地蔵信仰が広まったことによる。それが廃仏毀釈などで多くが破壊されながらも、いまに受け継がれているのだ。したがって、京都の中心部や東山界隈の石仏のおおかたの種類は地蔵菩薩である。

私が暮らす嵯峨野は、地蔵以外の個性的な石仏が多い。これは12世紀、平氏が東大寺や興福寺などを焼き討ち(南都焼討)をした際にさかのぼる。再建のために瀬戸内方面から石工が奈良に派遣された。再建を果たした後、石工らは仕事を求めて天皇家とゆかりの深かった京都の嵯峨野に流れ、そこで多くの石仏を彫った名残と言われる。このあたりの石仏は、阿弥陀如来や釈迦如来などをモチーフにしたものが多数である。