今は「日本人としての演技」を磨きたい
【三宅義和(イーオン社長)】鈴木さんは俳優として大変素晴らしい実力をお持ちでいながら、東京外語大出身でもあり非常に英語が堪能です。将来、ハリウッド進出は考えていますか?
【鈴木亮平(俳優)】ハリウッドに関わらず、世界中の人とさまざまな国で仕事をしたいという思いは昔から思っています。と同時に、そのためにはまず日本語のお芝居をきちんと磨いて、日本にしっかりベースを持って、地固めをしておかないと足元がおぼつかない状況になりかねないとも思っています。
【三宅】さすがです。
【鈴木】最近は日本人が外国の作品に出ることが増えました。将来そういった場で活躍するためにも、今は「日本人としての演技」をもっと磨きたいと考えています。
【三宅】「日本人としての演技」とは何ですか?
【鈴木】いまの僕の課題ははっきりしていて、時代劇をしっかりと演じられるようになりたいということです。刀の腕前の話だけではなく、武士としての存在感やストイックさ、あるいは当時の日本人の考え方や受けた教育などを佇まいからきちんと匂わせることができるか。その佇まいというのは日本人ならではの「色気」でもあると思います。大河ドラマを一年経験したとはいえ、まだまだ勉強することがたくさんあると痛感します。海外に興味があるからこそ、いまは時代劇をもっとやっていきたいと思っています。
英語のスイッチが入ったアメリカ旅行
【三宅】鈴木さんの外国人記者クラブでの会見などを拝見し、本当に自然できれいな英語をお話しになるので驚きました。帰国子女ではないですよね?
【鈴木】はい。兵庫県の西宮育ちです。
【三宅】小さな頃から英語に触れてこられたのですか?
【鈴木】最初の接点は映画ですね。物心つく頃から親と一緒に外国の映画を字幕で観ていた気がします。
ただ、はじめて生の英語と接したのは小学校のときに行ったアメリカ旅行です。当時、叔父が単身赴任でロサンゼルスに住んでいたものですから、家族全員で遊びに行きまして。その頃は飛行機代も高く、両親も共働きでしたので、いま思うと親も相当無理したのではないかと思います。
【三宅】子どもたちにいろいろな世界を見せたいと思われたのでしょう。さぞかし強烈な印象があったのではないでしょうか。
【鈴木】強烈でした。なにせ東京も行ったことがないのにいきなりロサンゼルスに行かせてもらえたのですから。それこそ映画の世界に入ったような感じで、「自分もいつかこの人たちとコミュニケーションを取りたいな」と思った気がします。僕のなかで英語のスイッチが入ったきっかけです。
【三宅】そういった原体験があるとモチベーションも大きく違ってきますからね。
【鈴木】そうですね。ただ、同じ体験でも人によって受け止め方が違います。僕はその後、英語の世界へどんどん行きましたが、兄はまったく関心を示さなかったんです。「別に会話したくないし、そもそも食べ物が合わない」と。
【三宅】そうですか。
【鈴木】皮肉なのは、兄は昔から自分が好きなものに没頭するタイプで研究者になったのですが、研究場所を求めていたら結局アメリカに渡ることになり、今度はオーストラリアに永住することになったのです。
【三宅】人生どうなるかわかりませんね。