がんの原因は「遺伝子の変異」

「がんの原因は遺伝子の変異です。しかし遺伝子に変異があれば必ずがんになるわけではありません。健康な人の体内でも、遺伝子変異はつねに起こっています」

人間の細胞は約30兆個あるといわれる。それぞれの細胞が分裂するときには、わずかな確率ながら、遺伝子の複製にエラーが起こって元とはごく一部だけ異なる遺伝子をもった細胞ができることがある。

多くの場合、そうしたエラーは生きていく上ではなんの影響もない。しかし数十年という単位で年齢を重ねていくと、いずれかのタイミングで、がんの原因となる遺伝子に変異が起こる。それもひとつのがん遺伝子の変異だけではがんにはならない。いくつもの遺伝子に変異が蓄積されることでがんになると考えられている。「多段階発がん」といわれるストーリーである。

では具体的に、私たちのからだのなかにある細胞は、いつ遺伝子変異を起こして、それがどう蓄積していき、どのタイミングでがんになるのか。残念ながらそれはまだ、謎に包まれているのが現状なのだ。

年齢とともに「がんの原因となる遺伝子の変異」をため込む

小川たちは2019年1月、イギリスの科学誌『ネイチャー』に新しいがん像を示す研究成果を発表している。彼らの論文を参照しながら、がん研究の最前線をのぞいてみたい。

まず、小川たちのグループがおこなった研究の概略をたどろう。

グループが対象にしたのは、食道の組織である。全身の組織をつかって調べるのには膨大な時間がかかってしまう。そのため、口から機器を入れて組織を取ってきやすいこともあって食道を選んだという。

若い世代から高齢者までのがんになっていない部位を調べて、どのように変異が生じているのかを確かめた。この場合のポイントは、あくまでも「正常な」細胞をターゲットにしたというところだ。がんになっていない組織で、年齢によって遺伝子変異にどのような差が生じているのかを調べたのだ。

グループは23~85歳の男女約130人から食道の正常な組織を取ってきて、遺伝子の変異を調べた。すると、世代によって大きく遺伝子変異のパターンに差が出た。

まず若い世代では、がんの原因となる遺伝子を含めてさまざまな遺伝子変異が起こっていた。しかしがんの原因となる遺伝子だけが特別に多いわけではなかった。一方の高齢者では、がんの原因となる遺伝子変異が圧倒的に多かった。食道の40~80%の粘膜を、がん遺伝子に変異が生じた細胞がおおっていたのだ。

つまり私たちは、年齢とともに、がんの原因となる遺伝子の変異をため込んでいることが裏付けられたのである。