世界共通の「普通」なんてどこにもない

例えば、僕は極度の近眼なので毎日コンタクトレンズをつけて生活しています。だから、もしメガネもコンタクトもない時代に生まれていたら間違いなく「障がい者」だったでしょう。狩りにでかけたらちっとも役に立ちません。

もっと大げさなことを言うと、僕は日本語しか喋ることができないので、日本語圏の外に出ると、僕の言語能力も、ある意味では”障がいがある”状態と言えるかもしれません。

突き詰めていくと「普通」なんてどこにもない。切り取りようによっては自分だって「健常者」ではないかもしれない。いつだってそんな疑いを持ちながら過ごすことは、いざ新しいルールを作ろうとした時に役立つような気がします。

ひとたび、「障がい」というものを離れてみても、僕たちが「社会」と呼んでるものは、所詮カギカッコつきの限定された「社会」だなと気づきます。個人個人に見えている「社会」は違います。全人類にとって共通の、すべてを含んだ一般社会なんてありません。あなたにとっての「社会」と他人にとっての「社会」は違うから。

死ぬような思いまでして無理に溶け込まなくてはならない「社会」なんてどこにもない。生きていく社会を自分で選んで、自分で定義する。それもまた、とても重要だと思うんです。

障がい者を苦しめる「適合」と「分断」の二元論

最近、写真家の齋藤陽道(はるみち)さんの『異なり記念日』という本を読みました。

齋藤さんは、耳が聞こえる両親から生まれたろうあ者です。両親の言語に合わせて「日本語」を第一言語として教わりました。齋藤さんのパートナーである麻奈美さんは、耳の聞こえない両親から生まれたろうあ者です。手話を第一言語として育ちました。

2人の間に生まれた樹(いつき)さんは、耳が聞こえる健常者です。3人が3人とも、ある意味で違う「社会」を生きている。子どもと親が「異なるんだ」と気づいた記念日が「異なり記念日」というわけです。

ろうあ者の教育をめぐっては、日本に限らず読唇術などを教えて健常者の言語を使いこなせるようになるべきという考え方が、かつては根強かったのです。しかし、耳が聞こえない人は無理やり口述日本語を覚えるよりも、手話コミュニケーションのなかでのびのびと感性を磨いたほうが豊かな表現力をもてるという考え方も、今では広く浸透してきているんだそうです(もちろんこんなにシンプルな歴史ではありません)。

齋藤さんは両親が健常者なので、口述コミュニケーションができるように育てられたそうですが、6歳から16歳の記憶がほとんどないそうです。手話ならすぐ覚えられることも、日本語の音や口のかたちで覚えようとすると何倍もの時間がかかってしまう。自分は聞こえないのに、音声で自己表現をせざるを得なかったことは、かなりストレスのかかることだったのかもしれません。

言い方が少し乱暴ですが、手話を使える人たち同士の「社会」で生きていく限りにおいては、日本語に適応しなくても手話ができれば何の問題もないという考え方もありますよね。

健常者たちが見ている「社会」に適合するために障がい者が努力すべきなのか。あるいは、健常者の「社会」と、障がい者の「社会」を分断させたまま生きていくべきなのか。

僕は、どちらも違うと思います。こうした二元論に陥らないことこそが大事なんです。障がいを障がいたらしめているのは社会でしかない。そのことを認識し、誰もが生きやすい「一般社会」を作っていかなければならないと思います。