なぜ英語に苦手意識を持つ日本人が多いのか。脳科学者の茂木健一郎氏は「今のグローバル社会では、英語ができないと話にならない」「日本人は揚げ足取りが多いから場数が踏めない」と言う。イーオンの三宅義和社長が、茂木氏にそのわけを聞いた――。(第1回)
脳科学者の茂木健一郎氏(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右)

荒井注「ジス・イズ・ア・ペン」の衝撃

【三宅義和氏(イーオン社長)】英語との最初の出会いは?

【茂木健一郎氏(脳科学者)】幼少期に観た映画ですね。子どもの頃、ご縁があって、家の前に地元の映画館のポスターを貼っていました。すると、その映画館から毎月タダ券が送られてくる。だから映画は毎月観に行っていました。当然、洋画も多くて、それで「英語いいな」と思った記憶があります。

とくに印象に残っているのはイギリスのミュージカル映画『チキ・チキ・バン・バン』(1968年)。あと、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)も好きでしたね。LPレコードを買ってきて歌詞を知ろうとしたのが「英語の勉強」という意味では最初だったかもしれません。その点、生のネイティブの音源をいくらでも聞ける今は恵まれていますよね。

【三宅】では中学に入られた段階では英語はお得意で?

【茂木】いえ、まったくです。どちらかと言うと得意なのは、ドリフターズ・荒井注の「ジス・イズ・ア・ペン」のほうですから(笑)。中学校に入って普通に三単現の「s」を習って、「えー、そんなものがあるんだ」と思ったくらいです。冠詞にも苦労した記憶があります。

危機感を持って勉強したのは大学生から

【三宅】そのあと英語を猛勉強されて英検1級、国連英検特A級を取られていますよね。いつごろから本格的に勉強されたのですか?

【茂木】高校の頃から原書を読んだりしていたのですが、危機感を持って勉強したのは大学生になってからですね。もともとFEN(現AFN。米軍直営ラジオ局)を聞くとか、生の英語に接する努力はしていました。それで、たしか22歳のときだったと思うんですけど、「日米学生会議」という会合に参加することになりました。

僕が参加した年は日本の学生が訪米する年で、1カ月間、シカゴやニューヨーク、ボストンなどで共同生活を送りながら英語漬けの毎日を送る機会に恵まれたのですけど、あの経験は間違いなく大きなターニングポイントになっています。僕は15歳のときにカナダでホームステイをしているのでネイティブスピーカーと話すのははじめてではなかったですけど、同世代と密度の濃い会話をするのは日米学生会議がはじめてでした。

【三宅】「使える英語」との関わりはそれが原点だったのですね。

【茂木】イーオンさんもいろいろな学習環境を用意されているでしょうけど、やっぱりネイティブの中に自分だけがいるという状況が一番強烈ですよね。ディベートになるとみんな手加減をしてくれませんし、話題がアメリカの文化など自分が知らないことに及んだら、いくら語彙力があっても理解できません。

あのときの心細さが、英語ともっと真剣に向き合うようになったきっかけのような気がしています。僕のなかでは「日米学生会議ショック」と呼んでいて、いまだに語り草になっています。