海外で活躍する日本のスポーツ選手は英語とどう向き合っているのか。メジャーリーグ6年間で7球団をわたり歩いたヤクルトスワローズ・青木宣親氏は「英語は打率よりも打席に立つことだ」という。イーオンの三宅義和社長が、青木氏にそのわけを聞いた――。
東京ヤクルトスワローズの青木宣親選手(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右)

37歳にして野球熱は最高潮

【三宅義和氏(イーオン社長)】メジャーリーグを経験される前後でどのような変化を感じていらっしゃいますか。

【青木宣親氏(プロ野球選手)】ヤクルトにいた最後の2年ぐらいは正直、モチベーションが少し落ちそうだったんです。そのような中でアメリカに行ったわけですけど、メジャーにはもともと行きたかったというのもありながら、「環境を一度変えて自分をもっと高めたい」という気持ちもあったんですね。その点、今は野球熱がまたすごく出ています。37歳になりましたが今までにないぐらいやる気になっていますし、野球を楽しくできています。

それと同時に、向こうでいろいろな経験をさせてもらい、立場も変わって帰ってきているので、今までやってきたことをもとに若い選手たちをうまく引っ張っていければと思っています。

【三宅】なるほど。私は大の野球ファンなので期待しております。青木選手の英語との出会いは、やはり中学校ですか?

【青木】そうですね。ただ、野球ばかりしていたので特に英語が好きだったというわけではなく……。もしあのときからメジャーを志していれば、もっと真面目に勉強していたかもしれませんね。

メジャーリーグと英語学習の相関関係

【三宅】メジャーリーグを意識されたのはいつごろですか?

【青木】大学4年生のときです。日米大学野球の日本代表としてアメリカに初めて行き、ニューヨークのシェイ・スタジアムとロサンゼルスのドジャー・スタジアムの2カ所でメジャーの試合を観ました。そのときに「いつかはこの舞台に立ちたい」という思いを持ったんです。

【三宅】英語の勉強を一生懸命されたのは、アメリカに行くことが決まってからですか?

【青木】はい。でも、本当に少しですよ。アメリカに行って自然と学んだことがほとんどです。

【三宅】アメリカに行かれる前は自信と不安のどちらが強かったですか?

【青木】野球のほうは、日本の「野球」とアメリカの「ベースボール」の違いはあるものの、基本的には同じですよね。そのため、そこはアジャストしていければいいと思っていました。でも、私生活に関しては正直、不安だらけでした。コミュニケーションもそうですし、食べ物や文化も違うし、性格も根本的に違うので。

【三宅】われわれのスクールにもスポーツが得意な小中学生で、将来海外で活躍するために英会話を習っている子どもさんがたくさんいます。英語ができたほうが生活のストレスは減りますか?

【青木】それは間違いないですね。自分ももっと英語がしゃべれていたら、いろいろとラクだったろうなと今でも思います。