1980年代から現在まで、ラジオパーソナリティとして活躍をつづけるタレント・伊集院光。なぜ伊集院は30年以上、ラジオ界の第一線にいられるのか。ライターの戸部田誠さんはその話術を「絶妙なさじ加減で“ルール”を作り、リスナーと共犯関係を結んでいくのが真骨頂」と分析する――。

※本稿は、戸部田誠『売れるには理由がある』(太田出版)の一部を再編集したものです。

「第42回ホリプロタレントスカウトキャラバン決選大会」で審査員を務める、タレントの伊集院光さん=2017年10月29日、東京都内(写真=時事通信フォト)

存在しないアイドルのオールナイトニッポン

「ただいまCM撮影スタジオにいます」

レポーターからラジオブースに中継が入る。撮影が延びてしまい、“主役”が本番に間に合わないというのだ。その主役こそ、「芳賀ゆい」。実在しない架空のアイドルである。中継を受け、スタジオに控えていた伊集院光が、「都内某所のスタジオ」だとか「CMの内容はまだ秘密」などともっともらしい説明を重ねていく。

1990年2月16日に放送された『芳賀ゆいのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)である。

「芳賀ゆいちゃんがスタジオに到着するまで」の時間繋ぎとして、彼女のデビューまでの生い立ちを追ったラジオドラマが流される。

ナレーションは上柳昌彦アナウンサーが務める本格的なもの。だがもちろん芳賀ゆい“本人”は登場しない。何しろ、実在しないのだから。ドラマには、彼女の“デビュー”のきっかけとなった「ミス・ポニーテールコントスト」の模様も。その司会を務めたのがなんと古舘伊知郎(ホンモノ)。当時彼は『夜のヒットスタジオ』の司会もしていた。コンテストを振り返り、「すごく印象に残ってます。ビッグになって、早く夜ヒットに来てほしい」などとコメントを寄せているのだ。

深夜のローカル番組から始まった

架空のアイドル「芳賀ゆい」は、2部(午前3~5時)で放送されていた『伊集院光のオールナイトニッポン』で生まれた。そもそものきっかけは「大島渚」だった。言わずと知れた強面の映画監督であるが、名前だけを見たら可愛らしい女の子でもおかしくない。そこから、「歯がゆい」という言葉もアイドルっぽいという話に。だったら、そのプロフィールをみんなで考えようと伊集院が悪ノリを始め、リスナーたちから大量のハガキが届いた。

やがて、芳賀ゆいは「握手会」まで開催。実在しないにも関わらず、集まったのは2000人。カーテン越しに誰だかわからない手と、みんなが握手をしていくのだ。この成功に勢いづき、企画されたのが『芳賀ゆいのオールナイトニッポン』だった。

当時は伊集院すら無名の存在。彼の番組もド深夜のローカル番組だ。誰も知らない、それどころか実在すらしないアイドルが『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めたのだ。それもほとんど一言も発せずに(『ラジオにもほどがある』藤井青銅/小学館文庫参照)。

さらに、彼女は奥田民生作詞の曲でCDデビューも果たし、写真集まで発売された。

いまでこそ「初音ミク」をはじめとして、ヴァーチャルアイドルは珍しいものではなくなったが、伊集院光とそのリスナーたちが作り上げた「芳賀ゆい」は間違いなくその先駆けだったと言えるだろう。