想像が必要だからこそ自由度が高いラジオ
そもそも「伊集院光」もラジオによって誕生したと言っても過言ではない。
三遊亭楽太郎(現・円楽)に弟子入りし、落語家・三遊亭楽大として前座生活をしていた頃、落語家を廃業した兄弟子が放送作家をしていたラジオ番組に出てくれないかと誘われる。先輩からの依頼に断れなかった彼は、師匠に無断で出演。だから、自分の風貌から最も離れた名前を名乗った。それが「伊集院光」だった。
彼の落語仕込みの話芸は評判を生み、2部ながら伝統ある『オールナイトニッポン』のパーソナリティに抜擢されたのだ。ミュージシャンでも、俳優でも、漫才師やコント師でもない(当時はまだ落語家であることも伏せていた)。まったく得体の知れない男が起用されたのだ。
伊集院はラジオをやっているときの快感をこのような例を出して説明している(2008年12月12日『僕らの音楽』フジテレビ)。
「松の木におじやぶつけたみたいな不細工な顔の女」
その言葉を聴いたときに思い描く顔は一人ひとり違う。映像が使えないから、想像を働かせなければならない。けれどその分、自由度が高いのだ。
ルールを作る“さじ加減”の絶妙さ
よく伊集院光を評するときに「白伊集院」と「黒伊集院」という言い方をすることが多い。前者はテレビやラジオの昼の番組での顔で、後者は深夜ラジオの顔だと。その際に言われる「黒伊集院」は、たいてい彼の「毒舌」部分を指している。そして、それこそが、伊集院のラジオの魅力だと評される。
だが、彼の本当の意味での真骨頂は、人の心理をついたいやらしい「ルール作り」にある。絶妙なさじ加減で作られたルールの中で伊集院とリスナーとの共犯関係が結ばれていく。
「芳賀ゆい」の場合は、あくまでも架空で、ひとつのイメージに固めないまま、どこまでいかにもアイドルっぽいものを作れるかということだ。アイドル文化へのアイロニーも含まれていただろう。そのルールに従っていさえすれば、悪ふざけし放題。その結果、いつのまにか、当初想定していたものよりも遥かにスゴいものが生み出されていく。まさに人間の想像力の無限の可能性を証明している。
伊集院光は芳賀ゆいという想像上のアイドルを作り上げたことで一気にラジオ界で知らぬものがいなくなった。やがて、彼女と同じように伊集院光は世間の想像を超え、ラジオの王様になったのだ。
1978年生まれ。ライター。ペンネームは「てれびのスキマ」。『週刊文春』「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』など。