「小1プロブレム」と呼ばれる問題がある。小学校に入学したばかりの1年生が、黙って座って授業を受けられない現象を指す。なぜそうした「問題」が起きるのか。熊本大学教育学部の苫野一徳准教授は「家庭のしつけの問題とするような指摘は間違っている。これは日本の学校システムそのものの問題だ」と指摘する――。

※本稿は、苫野一徳『「学校」をつくり直す』(河出新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/nikoniko_happy)

なぜ「子どもたちが幸せそうじゃない」のか

どんな親も先生も、子どもたちには幸せな学校生活を送ってほしいと願っているはずです。

でもどういうわけだか、子どもたちが幸せそうじゃない。そう感じている人は、少なくないんじゃないかと思います。

それは一体、どういうわけなんでしょう? そしてどうすれば、わたしたちはそんな状況を変えていけるのでしょう?

問題の本質が分かれば、その問題を克服するための道筋もまた明らかにすることができるはずです。『「学校」をつくり直す』は、多くの保護者が、そして先生たちもまた心のどこかで感じている、学校が抱える根本的な問題を明らかにした一冊です。そしてその上で、その問題を解決するための道筋を示したものです。

と、ここで大急ぎで付け加えなければなりません。本書は、学校や先生を批判するためのものではまったくありません。むしろ、保護者や子どもたち、地域の人たち、そして先生たちが、互いに協力し合って、よりよい学校を作っていくための道筋をはっきりと示すこと。それが本書の目的です。

教育のシステムにこそ問題がある

本書で詳しく論じているように、今学校が抱えている問題の本質は、一人ひとりの先生や個々の学校にあるというより、むしろもっと構造的なこと、つまりシステムにこそあるのです。いじめ、体罰、落ちこぼれ、小一プロブレム、中一ギャップ、教師の多忙、勉強する意味の喪失、同調圧力、不登校……一見別々に見えるこれらの問題も、その根っこはすべてつながっています。だから、個々の問題状況にだけ目を向けても、抜本的な解決策を見出すことはできません。根っこの問題、教育のシステムそれ自体の問題を解決しなければならないのです。

苫野一徳『「学校」をつくり直す』(河出書房新社)

結論から言ってしまいたいと思います。

公教育が始まって、約150年。学校教育はこれまで、ずっと変わらず、基本的に次のようなシステムによって運営されてきました。すなわち、「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」というシステムです。

ところがこのシステムが、今いたるところで限界を迎えているのです。

一つの象徴的な例が、嫌な言葉ですが、いわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題です。多くの人は、「落ちこぼれ」は、その子の理解力が低いから生まれるものだと思っているのではないかと思います。でも実は、これはシステムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。