これは「夏休みの宿題をいつやるか」という問題に似ています。多くの人は夏休みの前半に宿題を終わらせてしまったほうがいいことはわかっていますが、つい目の前の楽しみを優先して先送りしてしまいます。行動経済学ではこれを「現在バイアス」と呼びます。
例えば「今1万円もらうか、1週間後に1万100円もらうか」では前者を選ぶ人が多いのに対し、「1年後に1万円をもらうか、1年1週間後に1万100円をもらうか」では、後者を選ぶ人が多くなります。これは「現在から遠い将来の選択では忍耐強い意思決定ができるが、現在に近い将来の選択だとせっかちになる」というバイアスが人間に存在することを示しています。計画を立てられるけれど実行できないという理由の1つです。
がん検診の例ですが、内閣府の調査では、検診を受けない理由として多くの人が「受ける時間がないから」「健康に自信があり必要性を感じないから」といった回答を寄せています。がんになる可能性は未来に起こる不利益ですが、検診を受ける「面倒くささ」はすぐ生じる不利益のため、目先の不利益回避を優先してしまうのです。
そこで1人でも大腸がん検診を受ける人を増やすために、2016年に東京都八王子市がとった手法が参考になります。大腸がんは日本人のがん死亡原因の中でも2位、女性なら1位と、非常にたくさんの人がかかる病気。大腸がんによる死亡を防ぐには早期発見・早期治療が大切で、そのためには毎年検診を受けることが必要です。
八王子市では前年に大腸がん検診を受けた人全員に対して検査キットを送付していましたが、翌年も受診する人は7割しかいないことに頭を悩ませていました。そこで受診を促すために、以下の2種類のメッセージを記載したハガキを送ることにしました。
1つは「今年も大腸がん検診を受診すれば、来年度も検査キットを送付します」、もう1つは「今年、大腸がん検診を受けなければ、来年度は検査キットが送付されません」という内容のもの。その結果、後者のメッセージを受け取った人は、前者に比べて7.2%ポイントも受診率が高まりました。
両者のメッセージの内容はよく読めば一緒ですが、後者はより「検査キットが送られてくるという現時点の権利を失うこと」が強調されています。今年受診しないという判断を下すことで、将来得られたはずの行政サービスが受けられなくなる損失が確定するのです。