でも、この“あきらめた状態を受け入れること”こそが絶望であり、死に至る病なのだ。受け入れてはダメだ、とキルケゴールは説くのです。この本は真のキリスト者になるために書かれた本で、標的はデンマーク国教会です。大衆に迎合し、形式主義に堕落した教会を批判し、そんなものを受け入れることは死に至る病であると。それに対して『単独者』という概念を掲げたのです」

己を見つめ、神と対峙せよ。常識に囚われず、風潮と妥協せず、自己のあり方を、自らの意思で主体的に選ぶ生き方ができる人=単独者であれ。

「ですから、彼は実存主義の先駆者と呼ばれるわけです。ソクラテスもプラトンもキケロも『哲学とは死ぬ練習である』と言っていますが、孤独になるということは死と対峙することでもあるわけです」

死と対峙するといっても、実際に死は体験できないが、死にそうな目にあった哲学者がいる。キルケゴールよりも約80年前に生まれたジャン=ジャック・ルソーである。

ジャン=ジャック・ルソー(1712-78)
フランスで活躍した哲学者。『社会契約論』は社会秩序を乱すと逮捕状が出されたために逃亡。放浪生活を送る。「むすんでひらいて」の原曲は彼の作品。

「ルソーは大きな犬に襲われ大けがをし、臨死体験をしています。で、死に直面するような事態にあったとき、非常に安らいだ気持ちがした。でも、治っていろんな人間が集まってくると嫌な感じがしたと『孤独な散歩者の夢想』に書いています」

ルソーは『新エロイーズ』でも「本当の情熱は孤独から生まれる」と書いている。彼にとって孤独とは、社会を拒絶し世捨て人として生きることではない。国とは、文明とは、教育とは、と考えに考えた。死と対峙するときだけでなく、社会と対峙するときも人は孤独なのだ。そして、

「人間は本来自由な存在であるのに、多くの人が奴隷状態にあるのはおかしいではないか。国家が不当な暴力を振るうのであれば、市民は新たな社会をつくり、新たな契約を結ぶべきではないのか、と大多数に幸福をもたらさない特権政治や教会を否定し、革命せよ! と唱えたのです」

もちろん当時では過激な危険思想。迫害を受けるが、孤独が生んだ新しい思想は、やがてフランス革命の理論的支柱となる。

「というと格好いいのですが、ルソーは40歳くらいまでほぼ無職。ミュージシャンを目指し、放浪とヒモ生活を繰り返した性的倒錯者(露出狂)。5人の子どもをすべて孤児院送りにしたひどい男でもあります」

そんなどうしようもない男が、孤独をパワーに書いた『社会契約論』がフランス革命の原動力となったのだから、孤独の力、恐るべしである。