「お父さん、お母さんに早く会いたい」

千葉県警は2月4日、母親の栗原なぎさ容疑者(31)も傷害容疑で逮捕した。父親の勇一郎容疑者と共犯関係にあると断定した結果の逮捕だった。

報道によると、駆けつけた救急隊員に心愛ちゃんの遺体が発見された1月24日、なぎさ容疑者は、勇一郎容疑者が心愛ちゃんの髪を引っ張ってシャワーの冷水を浴びせかけ、首をわしづかみにするのを見ながら止めなかった。県警の取り調べになぎさ容疑者は「娘が叱られていれば、自分が夫に何か言われたりせずに済むと思った。止めたくとも止められなかった」と供述している。なぎさ容疑者は勇一郎容疑者からDV(家庭内暴力)を受けていたという。

子供は親を選ぶことはできない。勇一郎容疑者もなぎさ容疑者も子供をつくらなければ、こんな悲劇は生まれなかっただろう。なぜ、子供をつくったのか。心愛ちゃんのことを思うと、やるせない。

「お父さん、お母さんに早く会いたい。一緒に暮らしたいと思っていたのは本当のことです」

昨年3月19日、柏児童相談所の職員が自宅に戻った心愛ちゃんに小学校で改めて面会し、父親の暴力を否定する手紙について確認したときの言葉である。この言葉にも目頭が熱くなる。子供にとってはどんな親であってもかけがえのない存在なのだ。

「救う機会は一度ならずあった」と産経

新聞各紙の社説はどう書いているか。

2月5日付の産経新聞の社説(主張)は中盤で「翌年1月、父親が心愛さんの同意書を持参してアンケートの開示を迫り、市教委は『威圧的な態度に恐怖を感じた』としてコピーを渡した。アンケートには『ひみつをまもります』と明記していた。学校や市教委は心愛さんの信頼を裏切り、魂の叫びを加害者側に流したのだ。批判は当然である」と書く。

産経社説は続けてこう指摘する。

「さらに悪いのは、その後の放置である。心愛さんは直後に市内の別の小学校に転校し、ここでの同様のアンケートには虐待を訴えなかった。父親に恐怖を覚えた市教委はこの変化に、その影響と大人への失望を想像すべきだった」
「心愛さんを一時保護しながら、むざむざと両親の元に帰した柏児童相談所の不作為も同様に罪は重い。彼女を救う機会は、一度ならずあったのだ」

教育委員会や児童相談所に対する批判である。確かに行政側に非はある。しかし問題の根本は、何があの父親を娘の虐待へと向かわせたのかにある。そこを解明していかない限り、同様の悲劇は繰り返される。