星を求めなくなったミシュランシェフ

もう一人紹介したいのが、シェフの松嶋啓介さんです。広告・広報の仕事がきっかけで出会い、現在はQUANTUMでパートナー契約を結ばせていただいています。彼はフランスで外国人最年少シェフとしてミシュランの一つ星を獲得したことで注目された人ですが、実は今はミシュランの星を取っておらず、獲得を目指してもいません。ここに私は面白さを感じています。

ミシュランの星は、ある意味では会社の査定に近いものがあります。そのため、かつての松嶋さんは、博報堂入社当時の私と同じように、ある意味“褒められる”ためにがむしゃらにやってきたのかもしれません。その努力が実り、ミシュランの星を獲得することができたのでしょう。

ここで、普通であればお店の星を増やすことを目指すところを、彼はもっと大切なことがあることに気が付いたようです。それは、たとえばおふくろが作ってくれる「がめ煮」のような、じわっと幸せを感じられる豊かな食によって世界を良くしたいという思いでした。

彼は、現代人の食に危惧を抱いています。必ずしも身体によくない食品が出回っている現状があり、なかにはうつ状態の原因となるものもあるようです。とくに問題があるのは、塩、砂糖、油を過度に使った、いわば“アッパー系”の味付けへの依存でしょう。アッパー系の旨みにさらされ続けると、味覚が衰えたり、人生の豊かさが損なわれたりすることにもなりかねないと松嶋さんはおっしゃいます。

「過程」を楽しめれば豊かな人生になる

クリスチャン・マスビアウ『センスメイキング』(プレジデント社)

話は少し変わりますが、salary(給料)の語源はラテン語のsal(塩)にあることをご存じでしょうか。たしかに、給料と塩には似た面があると感じます。塩(給料)がなくなると渇望が生まれ、与えられると気持ちよくなる。でもしばらくするとまた渇望が生まれてしまいますよね。そう考えると、私たちは、いわば給料や塩の奴隷になっているのかもしれません。

松嶋さんは、提供する料理を通して、実はそんなに塩を使わなくても豊かな味わいがあることを伝えようとしています。味わいを探すこと自体に喜びがあり、人生の豊かさにつながる。これはセンスメイキングに通じる考えです。

私はこれまでの人との出会いから、「給料を気にしない人は強い」と感じています。小国さんや松嶋さんは代表例ですが、そうした人に限って後からお金がついてきたりするのも面白いところです。

自らのセンスに耳を傾けて北極星を見つけることができても、そこに向けて歩む過程で苦しいことがあるかもしれません。しかし、その過程自体を楽しみ、自分自身の人生を歩んでいる自覚を持つことができれば、それはきっと豊かな人生につながっていくはずです。

川下 和彦(かわした・かずひこ)
QUANTUM クリエイティブディレクター
1974年兵庫県生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。2000年博報堂入社。マーケティング部門、PR部門を経て、グループのスタートアップ・スタジオQUANTUMでクリエイティブディレクターとして新規事業開発を担当。著書は『コネ持ち父さん コネなし父さん 仕事で成果を出す人間関係の築き方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ざんねんな努力』(共著、アスコム)など。
(構成=小林義崇 撮影=原貴彦)
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