根拠のない自信があるバブル世代
筆者を含むバブル世代は、飲んでどうなろうが、結果はあまり気にしませんでした。酔っ払ってその辺に寝てしまっても、まぁどうにかなるだろう。終電がなくなったらタクシーで帰ればいいし、タクシー代がなければどこかに泊まればいいや。後で笑い話のネタにもなるし、といったニュアンスです。
この「なんとかなる」という感覚、根拠のない自信は、バブル世代特有の感覚です。おそらく背景には、右肩上がりのバブル経済があります。
いま70代前半の「団塊世代」も、上昇気流の「高度経済成長」を体験していますが、彼らは学生運動で少なからず挫折した世代。でも私を含めた、40代後半~50代のバブル世代は、青春時代にアメリカナイズされたバブル文化を体験しました。もっと頑張ってお金を稼げば、憧れのモノが手に入る。欧米のように自由に恋愛もできる。だからこそ、消費意欲が労働意欲、すなわち「稼ぐ」ことと直結していました。
ところが、今の20~30代は、物心ついた時からずっと日本経済が低迷している時代に育ちました。テレビをつければ、毎日偉い人たちが「申し訳ありません」と、不祥事で頭を下げている。親を見ても、お給料が伸び悩んでいる様子が如実に分かる。年金も、自分たちの時代にはもらえるかどうか分からない。
そんな中で、一時的な快楽で酔って終電を逃したら、タクシー代など余計なお金がかかる。酔って家に帰れば、家族にも迷惑をかけるかもしれない。いろんな「結果」を総合して考えると、飲み過ぎるのは明らかに割に合わない。「コスパ」に合わない、というのです。
もう一つの「自己責任」は、私自身、非常にショックだったキーワードです。
「最後に頼れるのは、親だけだ」
実はインタビューした100人の20代男子のうち、74人がこの「自己責任」に近いニュアンスを口にしました。
大きなきっかけは2004年、イラクで日本人3人が誘拐された際、小泉内閣が使った「自己責任」という言葉だったようです。おそらく当時、内閣はそういう意味合いで発言したわけではないのですが、彼らはこう捉えていました。
「この先、国も会社も、自分を守ってくれない」「だからちゃんと貯金して、自分で自分の身を守らないと」「いざという時のために、地元の友達と仲良くしておかないと」
そして彼らは、こうも言っていました。「知らない大人は信用できない。最後に頼れるのは、親だけだ」と……。
つまり、根拠のない自信を持ったバブル世代は、競争主義で肉食系、極端に言えば、周りを蹴落としても自分が上に行くことで、男性として「勝利」の感覚を得たかった。口うるさい親元も、早く離れたかった。でも彼ら草食系世代は、「無理に親元から都会に出て、競争した果てに、いったい何が残ったんだ?」という、バブル崩壊後のシビアな現実を見て育っています。