「1999年に世界は滅びる」と信じていた
オウムの出家信者は、上九一色(かみくいしき)村のサティアンなどに居住し、外界とは隔絶した環境のなかで生活していた。接触するのは同じ出家信者ばかりで、外界から入ってくる情報は限られていた。しかも彼らは、修行を通して得られる神秘体験によって、教団の教えを信じ、グルである麻原を崇拝していた。逆に、自分たちが捨ててきた現実の社会は穢(けが)れた世界、真理を知らない世界として、その価値は全面的に否定されていた。
信者たちは、1999年には世界は滅びると信じており、その点で、オウムという教団は、大洪水に呑み込まれていく世界にたった一つ浮かんだノアの方舟のようなものだった。方舟に乗れば救済されるが、そこから降りれば、洪水に呑み込まれるしかない。方舟に乗船したオウムの信者たちは、世界とともに滅びていく人間を救うことができるのは、自分たちの教団だけだと信じていた。
外界とは隔絶した閉鎖的な集団が形成されたとき、そこには、カリスマ的なリーダーを頂点に戴く、上意下達の組織が生まれる。
第二次世界大戦において、日本がアメリカなどの連合軍と戦ったとき、あるいはそこに至る時代において、天皇を現人神として信仰する強固なタテ社会が形成された。その社会は、オウムのあり方と酷似している。しかも、地下鉄サリン事件が起こった1995年は、日本が戦争に敗れた1945年からちょうど50年目にあたった。
「オウム」は再び現れる
オウムは、宗教としてはヨーガやチベット密教を取り入れ、異色の存在ではあったものの、その組織構造は極めて日本的なものであった。日本が無謀な戦争に突っ走っていった時代と現在とを比べた場合、日本人の行動原理、組織原理は変化していない。とすれば、オウムのように大きな問題を起こす組織が再び現れる可能性は十分に考えられる。それが、宗教という形をとるとは限らない。もっと別の形をとることだってあり得るだろう。
よく「苦しいときの神頼み」という言い方がされる。人は苦境におかれたとき、宗教にすがるというわけだ。
しかし、新宗教の歴史を振り返ってみるならば、新宗教に多くの人間が集まるのは、むしろ、経済が拡大していく時期においてだということが分かる。高度経済成長がそれにあたるし、オウムを生んだバブルの時代もそうだった。
現在は、経済が飛躍的に伸びている時代ではない。低成長の時代であり、それは安定成長の時代であるとも言える。だが、経済の先行きは分からない。ひとたび、それが上昇に転じたとき、社会は活性化し、そこに新しい宗教が生まれるかもしれない。オウムが再び現れるかどうかという問いは、そのとき答えが得られるのではないだろうか。
宗教学者
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術センター特任研究員などを歴任。著書に 『オウム真理教事件』『小説 日蓮』『神も仏も大好きな日本人』『戒名は、自分で決める』『葬式は、要らない』『日本の10大新宗教』『創価学会』『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』など。