強固な信念のないオウム信者

ゲーリングは確固とした信念にもとづいて行動していたために、戦犯として逮捕された後も傲然たる態度をとった。それに対して、日本の二人の戦犯は、天皇という権威に依存し、暴虐行為に及んだのも自らの信念によるものではなかった。丸山は、二人について、「一箇の人間にかえった時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ」と述べている。

こうした日本の戦犯の態度は、オウムの信者と共通する。オウムの信者が数々の犯罪行為に加担したのは、個々人が強固な信念を持っていたからではない。グルである麻原との距離を推し量り、その上で、より上位のものの指示に従って行動しただけなのである。

彼らの多くが、逮捕され、裁判にかけられたことで、信仰を失っていったのも、彼らのなかに強固な信念が確立されていなかったからである。わずかに新實智光が、自らの裁判における論告求刑で、検察官の非難に対して声を立てて笑ったのが例外とも言えるが、彼も死刑執行を前にしては動揺を示していた。彼は、死刑判決を受けた後に服毒自殺したゲーリングほどの信念を持ち合わせてはいなかったのである。

普通の人による犯罪だからこそ恐ろしい

裁判にかけられたオウムの信者たちが、法廷で反省の弁を述べても、それが人々を納得させるものにならず、上っ面の謝罪に響いてしまったのも、彼らの行動が明確な信念にもとづく主体的なものではなかったからである。ただ、命じられるままに行動したことを反省したとしても、それは本人のこころの弱さを露呈したものとしてしか受け取られないのである。

逆に言えば、そこにこそオウムの犯罪の恐ろしさがあったと言える。犯罪に加担した信者たちは、それを信念にもとづいて実行したわけではない。一般の社会に生きているなら、生涯犯罪を犯すことなどなかったはずの人間たちが、凶悪な犯罪に手を染めたのである。たとえば、中川智正と面会を重ねたアンソニー・トゥーは、「中川氏に会った人は、皆一様に彼はいい人だと言う」と書いている。

組織に属することは、その人間に安心感を与える。しかも、オウムの場合には、出家の制度がとられ、その内部は、第2章でふれたように、一般の社会とは異なり、個別の行動に対して責任を持つ必要のない社会だった。

オウムで犯罪に加担したのは、ほとんどが出家信者であった。地下鉄サリン事件の前日、オウムが被害者であると偽装するため、教団の東京総本部に火炎瓶を投擲(とうてき)する事件を起こした際、投擲を行ったのは陸上自衛隊第1空挺団の3等陸曹だった在家信者である。しかし、在家信者が事件にかかわったのは例外的なことだった。