塾に通わせるのと遺伝子操作は何が違うのか

――先生の新著『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』では、「病気治療のための遺伝子改変」より先の選択肢として、「身体的・精神的な能力増強(エンハンスメント)のための遺伝子改変」を取り上げています。人間はいずれエンハンスメントを行うのでしょうか。

まず、治療とエンハンスメントの線引きがそもそも難しいことがあります。たとえば知能の話。ある受精卵に対して遺伝子検査を行ったところ、生まれてくる子供(Aさん)のIQが70であると判明したとします。この受精卵に遺伝子操作を施した結果、AさんがIQ110になって生まれたとしましょう。ここで問題なのは、IQ95のBさんはどうなるのか、ということです。BさんのIQはAさんに越えられてしまうので、Bさんの親からすれば、「自分の子供にも受けさせたかった」と思うのは当然ですよね。

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低身長症の人に対して成長ホルモンを投与するかどうかという話も同じです。中央値よりもかなり低い人に投与した結果、中央値よりも若干低い人の身長を超えてしまう可能性があります。そうするとやはり「うちの子は何で使えないのか」という話になってしまいます。「ここまでは治療だからいい」「ここからはエンハンスメントだからダメ」という線は非常に引きにくいのです。

社会的には、多くの人が治療・エンハンスメントを求めるだろうと思います。たとえば、子供の知的能力を高めるために、家庭教師をつけたり塾に通わせたりしますね。それを「一部の人だけがやるからダメだ」と言う人はさすがにいません。じゃあ、遺伝子を組み替えて頭を良くするのはなぜダメなのか。生まれてくる子供が知的能力を発揮できるように「初期設定」を高くしておきたいと親が望むのは、塾や家庭教師をつけるのとどこが違うのか。一番の「早期教育」としてゲノム編集を行う、そういう時代に今後なっていくのではないかと思います。

結局、スポーツにしても知的能力にしても、持って生まれた遺伝子の違いで生まれつき優秀な人はいるわけです。最初にその遺伝子を装着して子供を生むのがエンハンスメントですから、やってはいけない理由は私には見いだせません。