「リベラル優生学」はナチスとは違う

親の立場から考えれば、健康な子供を産みたいとか、子供の能力はできるだけ高いほうがいいというのは、偽らざる希望だと思うんです。医学的に安全性が確認されれば、選択する可能性は高い。反対する理由があるかといわれると難しいでしょう。

ここで確認しておきたいのは、こうした遺伝子改良の話は、ナチスの話とは違うということです。遺伝子改変に対する批判としてよく聞かれるのが、「優生学や優生政策につながる」というものです。「命を人為的に選択するのは、ナチスが行った優生政策と同じではないか」というわけですね。

しかし、ナチスがやったのは、国家が個人の意思を無視した形で生命を抹殺したり隔離したりしたことです。現在の遺伝子検査や組み替えは、親の決定権が第一です。これは「リベラル優性学」といわれます。ナチスは、個人に対して国家が有無を言わさず生殖のあり方を強制した。一方、現在の議論は、国家ではなく個人、親となる人々が自由選択をするというものです。今は国家が「やってはならない」と反対意見を出し、親がそれを望むという構図になっていますよね。ナチスとは逆の状況です。

「人間中心」の時代が終わる

――『サピエンス全史』『ホモ・デウス』著者の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、一握りのエリート層が生物学的な自己改変を行い自らを「ホモ・デウス(神の人)」にアップグレードする一方、そうでない人は人工知能に仕事を奪われた「無用者階級」として生きる未来を描いています。先生はこうした未来が訪れるとお考えですか。

世界中のすべての人が遺伝子を改変することはできないので、違いが生じるのは確かだと思います。ただし、今のレベルで遺伝子を組み替えても、どのぐらいの違いが出るのか、はっきりしません。この遺伝子をこう変えるとIQが高くなるというほど、特定されていないからです。今後どこまで厳密に解明されるかもわかりません。

単一の遺伝子が原因の病気は、遺伝病のなかでも極めてまれです。それなら治療はわりとやさしいですが、そうでない場合は遺伝子を少しいじったところで大差はないかもしれません。それなのに積極的にやるのかどうか。費用対効果の問題が出てくるでしょう。

とはいえ大きな方向性としては、バイオサイエンスが、人類の画期となるひとつの方向を示しているのは間違いありません。どこに向かっているかというと、「人間以後」の世界です。「ルネサンスが人間を発見した」と言われるように、近代社会が人間中心の時代だったとするならば、今訪れようとしているのは、「ポスト人間中心主義」の時代です。人間のDNAを読み取り、組み替えていけば、人間が生物として変わる。人間とは違う種、「ポストヒューマン」や「トランスヒューマン」が生まれる可能性があるわけです。