本田さんの全作品を丁寧に読み込み、取材を重ねた労作

本田さんの酒の飲み方をひと言でいうと、とてつもなく楽しい酒だった。興が乗ると渥美清の寅さん顔負けの啖呵売を熱演してくれたり、得意のフランク永井の『公園の手品師』などを本家よりうまいのではないかと思う低音、アカペラで歌ってくれた。

当時よく、「僕の夢はね、NHKホールでリサイタルをすること」だったが、それがまんざら口から出任せではないと思わせるものがあった。

この頃はノンフィクションという言葉は使っていなかったが、その後、柳田邦男氏(NHK)、立花隆氏(文藝春秋)、児玉隆也氏(光文社)、沢木耕太郎氏などが次々作品を発表していく中で、ノンフィクションという言葉が定着し、本田さんたちが第一世代といわれる。

佐野眞一氏や猪瀬直樹氏たちが第二世代。その世代の牽引者で、『遠いリング』や『清冽』『天人』などの優れたノンフィクションを世に出してきた後藤正治氏が、このほど『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』を講談社から出した。

本田さんの全作品を丁寧に読み込み、その作品と関わった多くの編集者たちにインタビューした労作である。

本田さんが読売を辞め、フリーの物書きとしてからの足跡が、ほぼ年代順に並べられている。読んでいるうちに、本田さんとの思い出がよみがえり、瞼を熱くすることが何度かあった。

「滑らかで艶のある文章を書く」天性の才

私は入社2年目に本田さんと出会い、中堅編集者時代を経て、「フライデー」「週刊現代」編集長をやり、その後、子会社に放逐され、本田さんの亡くなった2年後の06年に退職する。本田さんを思い出すということは、自分のサラリーマン人生を振り返ることにもなるのである。

本田さんの才能をいち早く見出したのは、「文藝春秋」編集長の田中健五氏だった。本の中で田中氏はこういっている。

「当時は無名ではあったけれども一読して上手いなぁと思ったのは本田さんと児玉隆也さんでしたね」

児玉氏は光文社「女性自身」の敏腕編集者で、「文藝春秋」で田中角栄総理(当時)の愛人について書いた「淋しき越山会の女王」で一躍有名になった。

本田さんの書く文章は平易で、読む者の心に染み入ってくる。だいぶ前になるが、本田さんに「文章修業をしたことはあるのか」と聞いたことがある。まったくないといったが、母親から「文章の末尾に、気を付けなさい」といわれたことがある。それは守っているそうだ。

後藤氏も書いているように、「滑らかで艶のある文章を書く」のは、天性のものなのだろう。