心のコップを満たそうと思うほど際限ない欲望の淵へ堕ちる

『ブッダの 真理の言葉 感興のことば』(中村元訳、岩波書店刊)では、法句経の訳文が紹介されている。

「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。『快楽の味は短くて苦痛である』と知るのが賢者である」(ダンマパダ186)
「たといヒマーラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない」(ウダーナヴァルガ2-19)
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Ivan Bajic)

モノやカネを欲するのは、われわれの「心の働き」による。心という器は、コップのように容量が決まっているわけではない(満たされることはない)。したがって、満たそう、満たそうと思えば思うほど、それは際限のない欲望の淵へと堕ちてしまう。

渇望することよりも、今与えられたものにたいして、「十分である」と気づき、感謝の気持ちを持つことで、心の器は満たされるというのだ。

また、ゴーン氏の逮捕にからんで、しばしば彼の高額な報酬が俎上に上がる。そして、よく指摘されるのが、「世界のグローバル企業のスタンダードからみればゴーン氏の報酬はさほど高額ではない。むしろ日本の企業トップの報酬が安すぎる」との見解である。

この問題についても、仏教の「縁起」とからめて考えたい。縁起とは、「つながりを意識する」ということである。これまで経営を支えた歴代経営者や従業員、またはステークホルダー、あるいは顧客……。多くの縁起があって、今の事業が成立しているのである。

これまで日本の企業トップの報酬が低く抑えられていたのは、従業員や株主にたいして「おかげさま」という謙虚な姿勢が、経営陣の中にあったからではないか。稼げばそれだけの報酬を受け取る権利がある、という考えかたは、独善的だと思う。

企業は目先の「利益」を求め、善の心を見失った

ゴーンショックだけをとってみても、教訓となり得る仏教視座はいくらでもありそうなものだ。しかし、こうした古きよき日本型経営の理念が「グローバリズム」の名の下に失われてきているのは残念なことである。

2018年は、企業の不祥事が相次いだ。1月8日、成人の日に突然、休業して新成人を大いに落胆させたのが、振り袖の販売・レンタル業を手がけたはれのひだった。同社社長は粉飾決算による詐欺容疑で逮捕、起訴された。

さらに免震ダンパーを手掛けるKYBや日立化成、三菱電機などで品質管理に関する不正が発覚。近年は、三菱マテリアルのグループ会社、神戸製鋼所、スバル、日産などでも品質データの改ざんが次々判明している。金融機関ではスルガ銀行で不正融資問題が明るみに出て、一部業務停止命令が出された。

いずれの企業不祥事も、意図して行われたのは明白である。これは、目先の「利益」を求めるがゆえに、企業が善の心を見失った結果だろう。