「利益を上げられたのは、企業努力の結果」は大きな錯覚
そもそも「利益」という言葉の本来の意味をご存じだろうか。企業内では「営業利益」「経常利益」などの経済用語として使われているが、そもそもは仏教用語なのだ。「ご利益」と書けば、ああそうか、と気づく人も多いだろう。
わが浄土宗では、お勤め(勤行)のシメに「総願偈(そうがんげ)」という、短いお経を唱える。そこでは、
という文言が出てくる。これを現代語訳すれば、
という内容だ。
決算発表の場で、しばしば経営者が「利益を上げられたのは、企業努力の結果である」と語ることがあるが、それは大きな錯覚である。利益は、本来は他者からの「賜り物」なのだ。「おかげさまで、利益をいただいている」という精神が、経営者には必要なのではないか。
今の企業経営には「利他」の実践が欠けている
「利他」の実践が、今の企業経営には欠けていると思う。利他とは、自分の利益よりも、他者の利益を優先することだ。社会や人々のために尽くす。それが利他行であり、その結果、利益がもたらされるのである。
かつて利他行は、老舗企業の多くが実践してきた。利他の精神が、とてもよく表現されているのが「社是」だと思う。あなたは、自社の社是を諳(そら)んじて唱えることができるだろうか。
社是は、言い換えれば企業が定めたお経のようなものととらえて良い。企業のあり方の指針であり、創業者の理念が込められていることもある。近年は、「社是」とは呼ばず、「企業理念」などとする企業も多い。基本的にはどの企業の社是も言っていることはほとんど変わらない。
共通するのが「社会のお役に立つ」である。
たとえば、日産自動車の場合、「ビジョン」と掲げた社是がある。そこには、「人々の生活を豊かに」と掲げられている。
グループ会社で性能データ改ざんのあった三菱マテリアル。企業理念に「人と社会と地球のために」をうたっている。燃費などの測量データ改ざんに関わっていたスバルは企業理念の第2項目に「私たちは常に人・社会・環境の調和を目指し、豊かな社会づくりに貢献します」と述べている。
不正融資問題で揺れているスルガ銀行は、企業理念の中で「いつの時代にも社会から不可欠の存在として高く評価される企業」としている。