性暴力被害にあった女性たちに話を聞く
どこが危険で、どこであれば訪問できるかという情報は、詳細なレベルでは現地で収集していくしかありません。現地の協力者やイラク人記者から情報を集めたり、何年も前からイラクに拠点を置いている欧米の知人の記者の家に時々滞在したりして、安全管理や治安情報を共有するなどしたうえで、取材を続けることにしました。
とはいえ、危険性の高い取材だったことは確かです。訪問する地域や移動手段には細心の注意を払い、通訳にしても、事前によくよく情報を調べ、会って面談をしたうえで正式にお願いをしました。
訪れたカディア・キャンプでは、ナディアと同じコーチョ村出身の人々が多く集まり避難生活を送っていました。まずは性暴力の被害にあった女性たちに話を聞きはじめました。当初は、一度の滞在で済ませるつもりでした。
ですが、取材を重ねれば重ねるほど、自分がなにも分かっていないことに気づかされていきました。このヤズィディの人々はどんな民族なのか、性暴力だけではない、家族や故郷を奪われてきた人がどのような思いでいるのか。女性たちと少しずつ打ち解けていき、取材を続けるつれ、聞きたいことは増えていくばかりでした。
死が日常の一部になっている
日中は性暴力を受けてきた女性たちの話を聞き、夜はあるヤズィディの一家のお宅に泊めさせてもらっていました。すると毎晩のように、夕食後にヤズィディの人々がやってきて、延々と話が続く。家を失った人々がこれからどうするか、どこどこで集団墓地が見つかった、明日はあそこで戦闘があるらしい、といった生々しい話が毎日繰り広げられている。紛争や暴力、死が日常の一部となっているんです。
こうした経験を続けるにつれ、1カ月にわたる滞在の後半には、ここで終わりにするわけにはいかないという思いが強くなり、また戻って取材を続けることを決意しました。イラクに何度も向かいましたし、移住プログラムでナディアたちが向かった先のドイツにも行き、そこでの暮らしや思いも取材しました。こういった取材を重ねて、『ヤズディの祈り』という写真集を刊行するに至り、写真展も開催しました。