マスメディアは問題提起をすべきだった

ナディアへのノーベル平和賞受賞が決まってから、私自身にも多くのメディアから取材依頼を頂いています。ナディアやヤズィディについて伝える機会を頂けることは、素直に喜ばしいと思います。

ただ本当のことを言うと、今回の受賞以前から、もっとナディアやヤズィディに関心をもってほしかった。そしてマスメディアは、もっと問題提起すべきでした。

ナディアたちヤズィディの人々は、日本からずっと離れたイラクの、その中でも山奥の少数民族です。そこで起きたことが、私たちの生活と直接結びついているわけではない。だから、「遠く離れた場所での出来事」という程度の受け止めしかなかったことは、仕方がない面もあるでしょう。

けれど、距離が離れていて、文化や慣習が違うといって、まったく別の世界の話ということではありません。あたりまえではありますが、私たちと同じように日々を暮らしている、そんな人々に起きた出来事なのです。

難民キャンプの女の子が取り戻す「日常」

取材を通じて仲良くなったある女の子は、ナディアと同じくISISから逃げ出してきた被害者の一人でした。あるとき彼女に、暮らしていた難民キャンプの外でボーイフレンドができました。そのことを、まだ両親には恥ずかしくて言えなかったんですね。

それで「今日、彼とデートをしたいんだけど、両親には『今日はノリコと遊ぶ約束をしている』と言ってあるの。だからそういうことにしておいて。それと、ノリコがキャンプに来ているとバレちゃうから、悪いんだけど今日はキャンプには来ないでおいて」と、私にアリバイ工作を頼んできたんです(笑)。

こういうことって、高校生くらいの年齢でよくあるじゃないですか。だからすごく共感しましたし、悲痛な状況にある中でも、普通の日常を取り戻して生きようとしていることが感慨深かった。そんなヤズィディの人々と一緒に過ごしていたら、日本から離れているとか別の民族だとかいったことは、どうでもよくなってしまいます。

このことは、彼女の自伝を読んでいても強く感じました。彼女が語るイラクの生活は、食べ物や服装などの文化は違っても、日常のちょっとしたことに喜んだり悲しんだり、結婚式に夢を見たり、といったように、まったく私たちと変わらないのです。

ごく普通に暮らしていた人たちが、こんな苦しい悲劇に巻き込まれてしまっている。そのことを伝えたいという思いは、取材を通じて強くなっていきました。