日本を元気にしようじゃありませんか!

思わずため息が漏れる風光明媚な自然景観、先人の卓越した英知と技術に基づいて建てられた文化的建造物。世界遺産といえば“見た目”で圧倒的な華やかさや存在感を感じるものがイメージされる。

そうした中にあって2015年、ユネスコの世界遺産リストに登録された「明治日本の産業革命遺産」は地味だ。

「ところが、それぞれの成り立ちや、どんな人たちがどんな経緯でつくったのかがわかると見方が変わります」

8県にまたがり点在する23の遺産は、必ずしも直接的な結びつきがあるものではない。なのに、かかわった人物たちの交流や技術の伝播を追っていくと、それぞれが結びついてくるから面白い。

「登場人物も西郷隆盛など華のある主役級ではなく、その脇を支える渋い存在が大多数。とはいえ、NHKの朝ドラで有名になった五代友厚、大河ドラマで知る人も多い小松帯刀、現存する最古の洋風木造建築で最初の和洋折衷建築といわれる旧グラバー住宅でおなじみのトーマス・グラバーなど、『名前は聞いたことがある』という歴史上の人物が数多く登場します」

ちなみに、五代友厚とグラバーは密な交流があったようで、小松帯刀も加え、幕末の長崎で日本初の洋式ドックとなる小菅修船場を建設した。それが現在の三菱重工長崎造船所につながる。明治になり三菱が造った第三ドックは、現在も稼働中。人や時代は移ろえど、その技術は朽ちない。

「江戸時代には鎖国で日本の産業発展や近代化が停滞したという見方があります。しかし一方、刀や鎧兜は、同時代のヨーロッパにおける剣や甲冑と比べ精巧で技術レベルが高いとも言われています。城を建造するなど建築技術にも長けていました。鎖国によって独自の発展を遂げた技術や産業こそ、日本のものづくりの原点になっているんです」

たとえITやサービス産業が日本経済の柱になっても、それを支えるのは日本人ならではの精密なものづくり技術なのかもしれない。

「幕末から明治期にかけ、飽くなき挑戦を重ねる中で生き抜いてきた先達のDNAは、我々にも引き継がれています。だからこそ日本人は、第二次世界大戦後の困窮、石油危機など危機的局面も乗り越えられた。『もう一回みんなで、日本という国を元気にしようじゃありませんか!』――、そんな前向きで、明るい気持ちにさせてくれるのが、これらの遺産群なのです」

岡田 晃
大阪経済大学客員教授
1971年慶應義塾大学経済学部卒業。日本経済新聞編集委員、テレビ東京報道局経済部長、同解説委員長などを経て現職。
(撮影=尾関裕士)
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