※本稿は、佐藤賢一『学校では教えてくれない世界史の授業』(PHP研究所)の「はじめに」と第一章「アレクサンドロス大王こそ世界史の出発点」の一部を再編集したものです。
どうすれば世界史を語れるのか
世界史を語るというのは、本当に大変な作業です。世界史なんて、全体どうやったら語ることができるんだろうと、のっけから頭を抱えてしまいます。
世界史といったからには、世界の歴史、世界中の全ての国や地域の歴史を余さず網羅しなければならない。そう求められても、なかなか厳しいものがありますね。なんといっても、情報量が膨大になります。わけがわからなくなってしまいます。
世界史─―まさしく学校で教えられる科目ですが、高校の教科書なんか本当に網羅的に、こんなの高校生が覚えるのは無理だろうというぐらい、それは網羅的に詰めこんでいます。日本の歴史教育、大学受験教育というべきかもしれませんが、とにかく恐るべしですね。
ひとつは西洋史の流れ、もうひとつは東洋史の流れと、ふたつ並行的に語っていくというのが、古典的なスタイルでしょうか。もう、ふたつです。覚えることが多いですね。それなのに、西洋史と東洋史では足りないと批判があるわけです。
気候変動、火山活動、DNAから世界史はわかる?
科学的なデータを使う方法が、ひとつあるかと思います。自然史から人間の歴史を理解する、気候変動から歴史を読み解くなんていうのは、よくある手法ですね。
例えば長野県の諏訪大社、諏訪湖の辺の諏訪神社です。湖に張る氷の厚さを毎年記録していて、それが千年分以上もあるそうなんですが、これが世界屈指の貴重な史料だというんですね。氷が厚い年は寒い、薄い年は暖かいわけですから、地球の気候変動がつぶさにわかって、そこから、この時代は世界的に凶作だった、世界的に暴動が多発した、世界的に政変が起きている等々と論じていけるんです。