ワールド・ヒストリーなら、いくつかの歴史が並行していても、仕方ないのかもしれません。しかし、ユニヴァーサル・ヒストリーでは駄目なんですね。ユニヴァーサル・ヒストリーは、一つでなければならない。一方向にだけ進んでいく歴史でなければならない。

こんな歴史がみつかれば、楽ですよね。簡単にいってしまえば、世界統一を遂げた国とか勢力とかがあれば、その歴史はユニヴァーサル・ヒストリーになります。

他の全てを征服して、どこまでも一元的に支配して、自分以外のものを認めない。世界は自分にのみ従え。そう声高に主張できる者の歴史なら、それはユニヴァーサル・ヒストリーになるでしょう。イコールでワールド・ヒストリーにもなりますが、しかし、現実に世界統一を遂げた国なんかないわけです。ないから、悩んでいるわけです。

やっぱり世界史なんか語りようがないかとも落胆しますが、もう少し広く解釈しますと、それは「一方向の歴史」、「一つに向けられている歴史」であって、必ずしも結果でなくてもいい、未だ途上にある歴史でもいいわけです。世界統一は果たしていないけれど、ゆくゆくは世界統一を果たしたい。いつか果たせるはずだし、きっと果たせると信じている。そういう世界観、そういう歴史観を持つ歴史なら、ユニヴァーサル・ヒストリーと呼んでいいと思うわけです。

自ら世界史になろうとしている歴史、そうしたユニヴァーサル・ヒストリーを軸に歴史の流れをまとめていくと、ワールド・ヒストリーの流れもそれほど煩瑣にならずに、すっきりみえてくるんじゃないか。明かせば、それが私の着想です。

歴史はどこから始まったか

歴史の始まりというと、古代の四大文明ですね。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明で、それぞれの地域に国が生まれ、また興亡を繰り返します。ときに別な地域に伝播して、さらに別な文明を派生させ、そこで国が興り、また滅びと歴史は積み重なっていくわけですが、しばらくの間は─―しばらくの間といっても、数え方によっては千年とか、二千年になるわけですが、まだ世界史を論じられる状況にはなりません。

ワールド・ヒストリーは無論のこと、ユニヴァーサル・ヒストリーの徴候も認められない。あるいは、その文明や、その勢力や、その国家の歴史には認められても、なかなか続かない。1回きりで後に受け継がれていかない。つまりは歴史の流れとして、現代まで辿りつかない。