共働き家庭が多いなか「家事負担は妻9割、夫1割」
今や、わが国では夫婦共働き世帯が47.6%を占めている(「2015年国勢調査」)。つまり、夫も妻も外に出て、現金収入を得るべく奮闘している家庭が半数近くに上るということだ。政府が旗を振っている「女性活躍推進」にはいいことだが、冷静に考えると、これは「日中、家に誰もいない」=「家事は誰がやるのか?」という問題を含んでいるとも言える。
『プレジデントFamily2018年秋号』では小学校高学年の子を持つ母親505人の悩みをリサーチしているが、この結果からも「365日、休みのない家事問題」は母たちの大いなる苦痛を呼んでいることがわかる。
最も驚いたのは、調査対象の半分が共働き家庭という中で、「家事負担の平均は妻が8.8割、夫が1.2割」という結果だ。ほとんどの家事を妻ひとりが担っているという現状に、実に74%もの妻が「現状を負担に感じる」と答えている。
この負担割合がいくつになると「負担と感じなくなる」のかを聞いたところ、妻が5割、夫が5割となっているので、妻たちは共働きであるならば「せめて半分くらいは夫に家事をやってほしい」という気持ちを持っていることがうかがい知ることができる。
同誌のアンケート結果には子どもを持つ母が抱える「家事を巡る鬱憤」が噴出している。それは、夫のあまりに残念な家事非協力の姿勢に対するものだが、そもそも家事というものが持っている「哀しさ」も要因だと思う。筆者の私見だが、その「哀しさ」は次の3点に集約される。
1 家族の評価が低い
家事はなされなければ生活そのものができない。ある意味、家族の「生命線」なのだが、これへの評価は実に低い。妻(母)がやって「当たり前」、やらなければ容赦のない「文句」が家族から襲ってくるのだ。
2 達成感がない
会社で働いた仕事は何であろうと「終了時刻」があり「対価」が出る。そこには事の大小はあるが、何らかの「達成感」はあろう。しかし、「家事」には終わりがない。たいていは「対価」も支払われない。特に、小さな子供を育てている家庭になると、次のような光景は日常茶飯事なのではないか。
洗濯物をようやくたたみ終わりタンスにしまおうとした途端に、テーブルで子どもが飲み物をこぼしたので、それを拭き、洗濯物のところに戻ると、遊びに興じた子どもによって「洗濯山」は崩壊。作業はマイナスからのやり直し……。
それだけならまだしも、間が悪く帰宅した夫に「また散らかりっぱなしかよ!」と嫌みを言われた暁には、こころが折れても仕方がないというものだ。