批判は簡単だが、情報を得る裏側にはリスクが存在する。特にシリアのように現地で情報が統制され、死者・難民が生まれ、一般的に入国が許可されない国ではなおさらだ。だが情報が制限されているからこそ、そこで何が起こっているのかを伝えることは価値あることではないだろうか。こうしたリスクのもと、市民目線の客観的な情報を集めようとするジャーナリストの立場を理解することなく、私たちは日々の情報の恩恵だけを預かることができるのだろうか。

一方私個人としては、先日のトルコなど、国境までは取材に赴くものの現在のシリア国内には絶対に渡航を考えない。それは高いリスクを負う覚悟がないからだ。加えて自分の取材地が戦地ではなく、難民の避難先であり、そこで彼らの日常を取材したいという思いがある。しかしそれは結局は本人が何に価値を置くかということのように思う。

信頼できる情報が当たり前に得られる今。だがその裏にリスクを背負って情報を集めている人々がいること。その両サイドにいま一度思いを馳せてみたい。

北朝鮮から「1カ月、単身で来ないか」と招かれた

最後に、安田さんや清水さん、小松さんとは比べ物にならないが、私も国が渡航禁止にしている国へ、何度か取材に行っている。

「月刊現代」にいた1973年、初めての海外旅行はベトナム戦争中の南ベトナム・サイゴン(現在のホーチミン市)だった。

動機は不純だが、戦争の現場が見たかったのである。南ベトナム解放民族戦線がサイゴンを占領する「サイゴン陥落」の2年前のことだった。ホテルを出ると、戦争孤児たちが雲霞のごとく寄って来て、カネをせびること以外には、戦争のただなかにいるという緊張感はあまりなかった。

1985年5月北朝鮮へ行ってきた。経緯は略すが、北朝鮮から「1カ月、単身で来ないか」と招かれたのである。

2年前の10月9日にビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)で、北朝鮮によると思われる爆弾テロ事件が起き、韓国の要人の多くが殺された。

産経新聞などで、北朝鮮による日本人拉致事件のニュースが少し出てきていた。日経新聞の記者が、北朝鮮で逮捕され、2年2カ月にわたって拘束されるのは、14年後の99年である。

ジャーナリストの端くれなら、どうしても行ってみたい国であった。会社に知られれば行くなといわれるだろうから、有給休暇を1カ月とった。普通は中国の北京経由で平壌に入るのだが、モスクワを見たかったので、モスクワ経由で入ることにした。