「身動きができず、声も出ず、水も飲めない」

「紛争地に行く以上は自己責任。何があっても自分で引き受け、自分の身に起こることについてははっきり言って自業自得だと考えています」

シリアの過激派組織に3年以上拘束されていた安田純平氏が解放されて帰国した。11月2日に会見を開き、こう語った。

2018年11月02日、東京・内幸町の日本記者クラブで陳謝する安田純平さん(写真=時事通信フォト)

テレビで見る限り、時々息が荒くなることはあるが、著しく健康を害しているとは見えなかったので安心した。だが、長期にわたる拘禁生活は、想像していた以上に過酷だった。拘束生活のうち、約8カ月間は高さ1.5メートル、幅1メートルの独房に監禁されていたという。

「体の向きを変えるだけでも(両脇の部屋にいる過激派の男が=筆者注)音を聞いていて、枕の上で頭の向きを変えるだけでもその音を聞いている。鼻息も聞いている。鼻息がダメだというので、鼻を一生懸命かんで通そうとするけれど、鼻炎なので通らない。つばを飲み込むのもダメ。彼らが物音を立てる時にだいたい1分以内に動かないといけないという感じでした。身動きができず、声も出ず、水も飲めない。そんな日々が続きました」(安田氏)

私は閉所恐怖症だから、こういう状態に何カ月も置かれたら気が狂ってしまうだろう。

紛争地取材にまた行くかどうかは「全く白紙」

安田氏の妻に手紙を書けといわれたそうだ。しかし、「助けてくれ」と書くのではなく「オクホウチ」と書いた。

「これは、妻のことを『おく』と呼んでまして、それに『ほうち(放置)』と。妻には、何かあれば放置しろと常々言っていましたので」(同)

奥さんには、もし自分に何かあっても何もするな。自己責任なのだから「放置」しろといっていたそうだ。死と隣り合わせの拘禁状態の中でも、冷静さを失わず、こう書けるのはすごいことである。肉体的にタフであるだけではなく、精神的にもそうとうタフな人である。

日本政府の対応については、冒頭、「私の行動によって、日本政府が当事者にされてしまったことも申し訳なく思っている」と語ったが、「本人がどういう人物であるのかによって、行政の対応が変わるとなると、これは民主主義国家にとって非常に重大な問題だと思います」と、指摘している。

これは、安田氏が以前、安倍政権を批判した発言があり、それをとらえて「政権に批判的な人間を助けるために身代金を払うのはおかしい」という声があることへの“反論”である。

今後、再び紛争地取材に行くのかと記者から問われると、「行くかどうかは全く白紙です。分からないです」といった。

別の記者からも「現地に行ったのは記者の使命からか」と聞かれると、「“使命”など、そういうおこがましいことを考えたことはない。“戦争”とは『国家が人を殺す』ということを伝えるために、(国家の発表でなく)第三者である外国人ジャーナリストが現地に行って伝えることが絶対に必要だと思うからです」と、明快に答えた。