議員の落選による失職や突然解雇の可能性があるうえ、秘書として仕える議員しだいで自分に求められる仕事が変わってしまうという状況を、首尾一貫感覚の観点から見ると、明らかに「把握可能感」が得にくい仕事であることがわかります。
「それでもなんとかなる」という感覚
それでもAさんは、議員秘書への転身から15年以上経った今、何かを得たという感覚があると語ってくれました。このことは、Aさんの把握可能感の高さを示唆しています。
もともとAさんは、今までの職業においても10年を目安としたキャリアビジョンがありました。それは、「どんな仕事も10年経って初めてその仕事を理解できる」という感覚であり(これは把握可能感につながります)、この感覚があることで、議員秘書に就いて4、5年経って「これは一生の仕事ではない」と感じても、10年後には違う景色が見えるかもしれないと捉え方を変えているのです。
また、Aさんは仕事についてのもう1つの持論として、「1つの分野でこれだけは誰にも負けないというものがあれば、次の職場、次の議員事務所は必ず見つかるはずだし、違う世界に入ったとしても、それは絶対に役立つと思う」と述べています。この言葉からは「なんとかなる」「やっていける」という「処理可能感」の高さがうかがえます。
前述したとおり、議員秘書はいつ失職するか予測できない職業です。そのため、「それでもなんとかなる」という処理可能感が高くないと務まりません。Aさんの場合は、「これだけは誰にも負けない」という自負と、これまでの経験に裏打ちされた能力を、自らの処理可能感の高さの根拠としていることがわかります。
やりがいや生きる意味の「源泉」を持っている
そして、想定外の事態が続き、ストレスだらけの議員秘書を15年以上も続けられたのは、何が一番大きなモチベーションになっていたのかと質問したところ、「自分の専門知識や働きが、誰かのために役に立っていること」という回答でした。これは、「利他」的な活動を通じて、日々の営みにやりがいや生きる意味を感じられるという「有意味感」の高さがうかがえる内容といえます。
Aさんは、こうした首尾一貫感覚の高さでもってストレスを乗り越え、着々とキャリアを積み上げているといえます。
ストレス・マネジメント研究者
10年以上にわたってカウンセラーとしてのべ8000人以上、コンサルタントとして100社を超える企業の相談に対応。一般企業の人事部や国会議員秘書などを経て、2015年に筑波大学大学院に入学。修士課程修了後、同大学院人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻(博士課程)に在籍中。主な論文に「認知行動療法とアサーション搭載のアプリについて」「国会議員秘書のストレスに関する研究」など。