樹木希林式「がんになっても生涯現役」で生きるコツ
2018年9月15日、女優の樹木希林さんが長年のがん闘病の末に75歳で亡くなった。筆者は「来るべき時が来てしまったか……」との思いで訃報を聞いた。
希林さんは2004年頃から乳がんを患い、2013年には「全身がん」と告白。脊髄・副腎・腸など全身にがんが転移しているにもかかわらず、女優として長く活躍したのはご存知の通りだ。「年金暮らしのワケあり祖母」を演じた映画『万引き家族』は、2018年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した。授賞式でレッドカーペットを颯爽と歩いていた姿は印象深い。
早すぎる死だったが、「あんなふうに、生涯現役のまま逝く人生も悪くないかもしれない」と、受け止める人も多かったように思う。今回は、そんな希林さんの闘病生活から「がんになっても生涯現役」として生きるためのコツやヒントを紹介したい。
【コツ1 あえて白黒をつけない】
希林さんと言えば、ついつい気になってしまうのが、夫でロックスターの内田裕也氏との結婚生活である。「長年の別居生活」「離婚裁判」「夫の女性関係」などと報道されてはいるが、ひとり娘の也哉子氏を立派に育て、晩年には長年連れ添った夫婦ならではの絆もあったようだ。
ここのところ盛んに報道される「家事・育児を含む男女共同参画」「イクメン」にはほど遠い夫婦だったが、世の中は白黒や善悪の決着をつけないほうがよい場合も多い。とりわけ、夫婦間の問題は。ロックスターの正妻ともなれば、むしろ「清濁あわせのむ」という器の大きさが役だったのではないか。
彼女の闘病生活にも「白黒つけない」人生観を垣間見ることができる。「先端・高度な手術で完勝を目指す」よりも、「小さなトラブルがあれば、その都度ちょっと処置してもらうことで、小康状態を維持する」治療方針だったと聞いている。これが結果的には、乳がん発覚後14年間も生き延びて、亡くなる数カ月前まで現役女優として活躍することを可能にしたのかもしれない。
【コツ2 ナンバーワンよりオンリーワン】
希林さんは「個性派女優」の肩書きで紹介されることが多かった。郷ひろみとのデュエットソング『林檎殺人事件』でのコミカルな姿や、「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」というコピーが流行語ともなったで知られる「フジカラー」のCMなど、数多くのドラマ・映画・CMでオンリーワンの存在感を示した。
老いも病いも、自分を苦しめるものとして闘うのではなく、あえて受け入れて個性の一部として次の仕事に生かす。これが栄枯盛衰の激しい芸能界で、彼女が独特のポジションを取りつつ長年現役で活躍できたコツだったのではないだろうか。