「ナガスクジラ」は最もおいしいが入手困難

80種類以上あるクジラのうち。最も味に定評があるのが、南極海などで捕獲されるナガスクジラだ。かつて、木の屋のナガスクジラ缶には、商業捕鯨だけでなく、日本の調査捕鯨によるものもあった。

「10年前は日本の調査捕鯨枠で、ナガスクジラは10頭の割り当てがありましたが、実際の捕獲数は3頭。すべて当社が仕入れて缶詰に加工していました。それが現在はゼロ。入手困難になり、商業捕鯨国のアイスランドから輸入しているわけです。一般に、鯨は脂分があるのがおいしく、ナガスクジラは約10%で最も多いのです」(木の屋ホールディングス代表取締役副社長の木村隆之氏)

日本で商業捕鯨が禁止されたのは1987年と30年以上前だ。当時の冷凍技術は未熟だった。現在は、捕獲された鯨は船の上で解体され、すぐ急速冷凍される。クジラ肉の印象がかつてと違うのは、冷凍技術が進化している点が大きい。さらにプロの目利きで、肉を吟味して調達している。だから高額でも、売れる缶詰になるのだ。

試食会の様子。クジラ肉を使った料理には歓声があがった。(料理製作=杉山順子氏)

「鯨と共生してきた町」宮城・鮎川

クジラ肉を使った料理は日本の伝統文化のひとつだ。8月上旬、そうした文化の実態を取材しようと、「小規模沿岸捕鯨」の許認可地のひとつ、宮城県石巻市の鮎川地区に足を運んだ。

鮎川は、1906年に山口県に本拠がある東洋捕鯨株式会社(日本水産の前身)が進出したのを機に、近代捕鯨の一大基地となった。「日本の捕鯨発祥の地」といわれる和歌山県太地町に比べると歴史は浅いが、それでも100年以上の歴史がある。

ノンフィクション作家の大島幹雄氏が発行している『石巻学』。昨年発売の特集は「牡鹿とクジラ」だった。

取材の目的のひとつは、8月5日に開催された「牡鹿鯨まつり」だ。2011年3月の東日本大震災で、津波による甚大な被害を受けた。だが、1953年に始まった鯨まつりは現在まで続いている。会場には出店が立ち並び、外国人が提供されたクジラ肉の炭火焼を試食していた。壇上では石巻市長が挨拶し、太鼓や演舞も披露されて盛り上がった。

会場の目と鼻の先には「おしかのれん街」という仮設商店街がある。入居する「黄金寿司」は1972年の創業。長く鮎川浜で営業しており、にぎり寿司やちらし寿司のほか、クジラを用いた寿司も提供する。筆者も頼んでみた。まろやかに口の中で溶けて美味だった。

鮎川では、ノンフィクション作家の大島幹雄氏にも会った。ロシア語の専門家で、海外からサーカスを呼ぶプロモーターとして活躍しながら、『石巻学』という本を発行している。昨年発売された3号では「牡鹿とクジラ」の特集を組んだ。

JR石巻駅前の飲食店には「鯨赤身のレアステーキ」(1080円)などの料理もあった。接客してくれた20代の女性従業員は牡鹿半島出身で、「子どもの頃からクジラ肉は食べていた」と話す。料理もあれば本もある。「クジラと共生してきた町」の一端に触れる思いだった。