「独眼竜政宗」の曾祖父は、住民の「近道」に悩んでいた

ところが、5年ほど前に東京大学の桜井英治さんと、ひょんなことから伊達稙宗(だて・たねむね)の作った分国法「塵芥集(じんかいしゅう)」をテキストに議論する機会があったんです(その議論は『戦国法の読み方』(高志書院)にまとめられている)。

稙宗は「独眼竜」として有名な政宗(まさむね)の曽祖父で、「塵芥集」は彼の手による全171の条文からなる分国法です。「塵(ちり)」や「芥(あくた、ごみ)」のような些末な条文まで収録したことを謙遜して名付けたとされるだけあって、あらためてこの「塵芥集」に正面切って取り組んでいると、そのレトリックや行間に稙宗の生々しい息遣いを感じ取れるような気がしました。

明治大学教授の清水克行氏(撮影=プレジデントオンライン編集部)

例えば、稙宗は「塵芥集」の中で、喧嘩や道路の往来の仕方から夫婦喧嘩に至るまで、こんなことまで必要かと思われるほどの細かな規定を定めています。とりわけ後半の条文になると、「路地を往来する者は、道端の家の垣根を壊し、松明にしてはならない。まして寺院の堂塔については言うまでもない」とか「近道をしようと封鎖してある道を突破して通ったら、侍ならば出仕をやめさせ、それ以外の者は追放とする」などと、中学校の校則以下の些末な規則まで定められているんです。

おそらく、当時の往来にはそうした行動に出る者が、ときおり出没していたのでしょう。しかし、だからといって一国の主である大名が、「近道禁止」の条文を自ら書くものでしょうか。その姿を想像すると、「戦国大名」という強面のイメージがぐらぐらと崩れていくようです。そして、それは僕の関心事である「庶民」や「戦国社会」の風景を、その向こう側に想像させるものでもありました。

「法律のようなもの」をなんとか作ろうと悪戦苦闘

現在に伝わる戦国時代の分国法には、主に11の史料があります。今回、本の中ではそのうちの5つを中心に論じましたが、それぞれに大名やその領国のキャラクターを感じさせる面白さがありました。

分国法を読む面白さとは、社会のルールが慣習法によって成立していた時代において、各々の大名が試行錯誤しながら「法律のようなもの」をなんとか作ろうとしているところです。彼らの周囲には、法律の条文を作れるスタッフはいませんから、すべて自らの手でやるしかなかったのです。

たとえば伊達稙宗の「塵芥集」を読むと、文章を書き慣れていない人が一生懸命に「こんな感じかな」と作っているように見えるんですね。本来はもう少し抽象化するべき条文を、実際のケースをもとに作るものだから、法律とは思えないほどディテールが豊かなんです。

古代から律令制度を導入したように、日本にはしっかりした法律を導入してきた歴史があります。だから、当時においても「国家である以上は法が必要だ」と考える彼らのような大名がいた。ところが、社会の側がそこまで成熟していないため、背伸びをして法律を作らなければならなかった。そのために内容が非常に人間臭いんです。