戦国時代など日本中世史をテーマにした本が静かなブームになっています。そこにまた画期的な一冊が登場しました。明治大学教授の清水克行さんの新著『戦国大名と分国法』(岩波新書)です。「分国法」を正面から書いた新書はこれまでありませんでした。日本の歴史上「最もカオス」という時代に、なぜ戦国大名は「法」を定めたのか。そのひとつは「部下の仲違いに悩んでいたから」でした――。(前編、全2回)
明治大学教授の清水克行氏(撮影=プレジデントオンライン編集部)

現代人の価値観を揺さぶるものを発見したい

歴史の研究者には二つのパターンがあると僕は思っているんです。

ひとつは過去の時代と今の時代とに同じものを見つけ、遠く離れた人々を等身大に捉えることに醍醐味を感じるタイプ。もうひとつは同じ列島に暮らしていた人たちが、ほんの数百年という時間をさかのぼるだけで、こうまで性格から文化まで異なるのか、という違いの発見に研究の喜びを見出すタイプです。

僕は明らかに後者のタイプで、現代を生きる自分たちの価値観を揺さぶるものを、歴史の中に発見するのが好きでしてね。

何しろ中世というのは日本の歴史上、最もカオスな時代なんです。彼らの社会は犯罪があっても自力救済が基本で、とにかく名誉を自分の命よりも大切にするところがある。現代人の想像を越える激しい感情の起伏と行動力が、当時の日本人の特徴です。僕が「喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)」という法律や「耳鼻削ぎ(みみはなそぎ)」といった刑罰を研究してきたのも、そこから彼らのものの考え方や心の有り様が、ありありと浮かび上がってくるからでした。

「耳鼻削ぎ」は女性の死刑を回避する温情措置だった

例えば、「喧嘩両成敗」と聞くと、「喧嘩したら二人ともぶっ殺すぞ」という強圧的で野蛮な印象を抱くかもしれません。しかし、当時の公家の日記から喧嘩の話が出てくるものを集めてみると、どうやら単に野蛮だと言って片づけられるものではないんですね。

中世の人々は前述のように名誉や仲間を何よりも重視するため、喧嘩を始めると関係者が徒党を組んで死ぬまで闘い始めたりします。互いの被害を同じレベルに抑えて手打ちにする「喧嘩両成敗」の制度は、そのなかで喧嘩をエスカレートさせないための知恵でもあったわけです。

「耳鼻削ぎ」も中世の残虐さを表すエピソードとして言及されますが、記録をよく読めば実は女性に対する刑罰であったことが分かる。男性であれば死刑が適用される罪に対して、女性には鼻削ぎを適用する――というある意味では温情的な刑罰だったという理屈を見出したときは、中世の社会の世界観がまた少し分かったような気がしたものです。

そうしたテーマに興味を持ってきた僕にとって、戦国大名が「上から下」に向けて作った「分国法」は、これまで研究のなかで援用する程度の史料でした。