言うことを聞かない部下たちに対する愚痴

そうした意味でご紹介したいのが下総(現在の千葉県北部と茨城県南部)の大名・結城政勝(ゆうき・まさかつ)による「結城氏新法度」です。次に挙げるのはその条文を現代語に訳したものの一つです。

大して多くもない同僚たちの間柄を見てみると、いずれも縁者親類のあいだで、自分に正当性があるとしても、たがいに罵り合いをして騒ぎにおよぶのは、まったく見苦しい振る舞いである。ところが、さっきまで刀を突きたてていがみ合っていたかと思えば、今度は寄り添って飯椀(めしわん)に酒を差し合うようなことは、まったくバカげたことである。とにかく些細なことに腹は立てず、親類だとしても丁寧に筋道を立てて説明すべきである。まったく雑言まじりの騒ぎは、見たくもないことである。

ここからうかがえるのは、当時の領内では武士たちが親類同士でよく喧嘩をしていたらしいことです。そして、喧嘩をしていたかと思えば、次の瞬間には仲直りをして、仲良く飯茶碗で酒を酌み交わしている姿に、政勝がいらいらしていますね。

清水克行『戦国大名と分国法』(岩波新書)

これは果たして「法律」なのでしょうか。最後の「私はそういうのを見るのが大嫌いだ」といった感想に至っては、もはや言うことを聞かない部下たちに対する政勝の愚痴に聞こえます。

ゼミで取り上げたら、笑いが絶えなかった

また、刑罰についても「聞き糺し、打ちひしぐべし」「ひと咎め申すべく候」といった表現が使用されており、なかには「もっちり」「いきほして」などという全く意味の分からない副詞が付いていることもある。戦国大名自身が東国の訛りを法律文書に残しているわけで、実に味わい深いものがあります。

私の明治大学のゼミでも、この「結城氏新法度」を取り上げたときは、笑いが絶えませんでした。当時の武士の暮らしぶりが、いきいきと描写されているからでしょう。

こうした分国法なのですが、現在に分国法が伝わっている10家ほどは、みな滅びています。一方、織田、徳川、毛利、上杉、島津といった戦国時代を代表するスター大名たちには、分国法が伝わっていません。これはなぜか。次回はこの「分国法のパラドックス」についてご紹介しましょう。(後編に続く)

清水克行(しみず・かつゆき)
明治大学商学部 教授
1971年生まれ。立教大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。専門は日本中世社会史。「室町ブームの火付け役」と称され、大学の授業は毎年400人超の受講生が殺到。2016年~17年読売新聞読書委員。著書に『喧嘩両成敗の誕生』、『日本神判史』、『耳鼻削ぎの日本史』などがある。
(構成=稲泉 連 撮影=プレジデントオンライン編集部)
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