学校の教科書は「時代」が変わると仕切り直しになってしまう。しかし現実の歴史は1本のタイムラインで今日までつながっている。江戸時代以降の400年を人口、経済、気温、身長の4つのデータから読み解く。第3回は「気温」について――。
※本稿は「プレジデント」(2018年2月12日号)の特集「仕事に役立つ『日本史』入門」の掲載記事を再編集したものです。
冷夏が招いた、江戸三大飢饉
地球の気温は暖かい時期と寒い時期を交互に繰り返しながら、大きなトレンドの中で変動しています。ざっくりとした時代ごとの寒暖を言うと、縄文時代は暖かく、弥生時代には寒くなり、平安時代にはまた温暖になり、江戸時代は再び寒くなりました(14世紀から19世紀半ばは「小氷期」と呼ばれます)。
もちろん平安時代にも底冷えのする寒い冬はありましたし、江戸時代にも猛暑の夏がありました。この気候区分は、数百年という長い時間軸で特徴づけたものであり、その前提で、江戸時代は「総じて寒かった」ということが言えます。
近年、東京で雪が積もるのは珍しいですが、江戸の錦絵には雪景色の風景が数多く描かれています。また、1780年代には両国川や浅草川が結氷したという記述も古文書に残っています。
しかし、人々の生活や幕府の経済政策に大きな影響を及ぼしたのは、冬よりも夏の気温の低さでした。「江戸三大飢饉」が起きたのは、いずれも例年よりさらに気温が下振れした年です。当時は気温を数値データとして記録して将来を予測する術もなかったため、人々は凶作に備えることもできず、異常気象の被害をもろに受けることになってしまったのです。